わたしが夫を大旦那と呼ぶ由縁。
それは
過去世にて
囲われていたことがあるから。
ブログは多方面に読書さんが居られるから
この一文で合わなければ
引き返してもらえると有り難い。
言葉を足しておくと、
「ストーリーはどうでもよい」。
お伝えしたいことは、その構造。
各々魂は
無意識層に、幾世もの「記憶」という名のデータ
が取り込まれている。
それを開放していく作業の繰り返しが
覚醒のプロセスのひとつでもある。
個人的には、「過去世」の大柱たちは
昇華したと認識している。
(今世の範疇に過ぎないが。)
だけど、ここへ来て
大旦那が観せてくれている。
伊達に「大旦那」を張っていない。
彼の創る事象がわたしに観せてくれたものは
わたしの魂の
「内なる誇り・尊厳」。
わたしは永らく
耐えるフェイズと歩んできた。
それは選択だったし、
「馴染んだ肌感」は
早々には剥がせない。
大きな課題をひとつ、またひとつと
歩んで来て、その今、
ようやく一番身近な関門が、
拓こうとしている。
そしてそれは、そんなに難しくない。
観落とさないのは、本年の成果。
「自己融合」ととても密接な課題であった。
自尊心。
侵犯されたくない領域。
それが、わたしのなかで
初めて、輪郭を描いた。
わたしはこれが「わからなかった」。
=「体感が乏しかった」
=「体感を許可していなかった」。
凄い。
「自我は、自尊心を、明確に隠す」。
この事実に、気づいてしまった。
簡単に云えば、
「責を保った上での、共通事実の線引き」
を、如何に成すか。
自分を粗末に扱うのは
自我のの最たる罪。
そしてそれは
御子たちを貶めることにも繋がる。
循環とは
如何に自分の魂に沿う「気高さ」があるかで
巡りが決まってくる。
量も質も。
この辺りを
大旦那の言動という共通事実が
気づかせてくれた。
最大の大鏡は
・・・お見事。素晴らしい。
お読みくださり
ありがとうございます。