終戦記念日には、毎年のように同じニュースが出る、

「戦争の反省、不戦の誓いを表明する政府と天皇(微妙に言い回しが違う)」

「戦争の放棄、基地反対、護憲の運動をする左翼系に人たち」

「靖国参拝する右翼系の人たち」

 

憲法の話もいいが、9条の話も良いが、前文も忘れないで欲しい。

これは終戦間もない時期に、当時の日本人の反省から生まれた魂を込めた「誓い」なのだ。

 

前文の前1/3部分は、国民主権

前文の中1/3くらいが、人権と平和主義

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

 

前文の最後部分が、国際協調

「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

 

僕たちが反省するのは、「戦争をしたこと」であるのなら、少しずれているのかもしれない。

僕たちが反省するのは、「自分たち側と他の人たちに分け」、「自分たちの幸福追求のためなら、他の人たちは犠牲になっても良いと考えたこと」だ。

戦争はその結果起きたこと。戦争そのものを反省しても、戦争を起こした間違った考えを正さなければ、結局は戦争を止められない。

そして、他国が、そのような考えている場合、それを正そうとするべきだ。

残念なことに、今日の世界は、先の戦争を反省していない国々だらけになっている。


 

 

 

 

 

民主主義のインフラというと、民主的な選挙制度と自由・公平なマスメディアと言われていたようだが、これからはそれでは足りない。

では、何が必要だろうか?

先日、EUがAIを採用等で利用する場合に、データと判断基準を公表する倫理基準を設けた。

人間もAIも、ある事案を判断する場合、「その事案に関するデータ」を「蓄積されたデータ」と「判断基準」に照らし合わせて判断している。

そう、人間も同じ。AIはいつも正しい判断をして、人間は間違った判断をするというわけではなく、人もAIも判断は、情報と判断基準次第。その人の人柄で判断が正しかったり、そうでなかったりするわけではないし、学歴や経歴も関係ない。

はなく、「正しいデータ」と「適切な判断基準」を持っているかだ。

それなのに、政治家がどういう判断基準を持っているかを選挙民は知らない。

第三者機関であったり、大学や学生たちの連合でも良いけれど、それぞれの政治家の持つ判断基準を示して欲しい(どんなデータがあるかは示しようがないので)

 

 

 

 

大阪近郊の都市行政にかかわっている人は気付いていると思うけれど、こうした衛星都市の行政では、その市内で仕事をしている人に比べて、大阪市内で仕事をして、ベッドタウンとしてその街に住んでいる人を軽んじている。

寝に帰るだけの人と、その町で生計を営んでいる人を同じには考えられないというのが、こうした行政の常識だ。


判りやすい例では、伊丹空港の廃止を長年叫んでおきながら、本当に廃止になる可能性が出た時、住環境よりも、商環境を優先して、廃止反対に豹変した。


それでは、夜だけのベッドタウン住民の権利が、昼夜住民よりも軽いと言うのであれば、昼の住民の権利を大阪市が与えてくれるのかというとそうではない。

大阪市の人口は大阪府の人口の30.3%しかないので、彼らの面倒など見れないのだ。


結局のところ、職住という一つの生活圏の行政が別々になっていることに無理があるのだから、生活圏の規模に近い範囲が一つの自治体であるべきなのは当然のことである。


職住の行政が分断されていることの矛盾は、この行政に関わる者であれば当然に感じているはず。

にも関わらず、反対する人たち(自分の議席を確保したい議員、自分の権限を確保したい役人、その役人につるむ人たち)が、大阪市やその行政の範囲がさも不可分なもののように語る。

しかし実際に歩いて見れば判ることだが、大阪市内外の境界に、大きな分断があるわけではない。

最近、日本でもマスコミが劣化しているんだけれど、マスコミが劣化してるって言っても気がつかない人が多いのか、判ってくれないんだよね。

これは韓国を代表する新聞社である中央日報の記事なんだけれど、韓国固有種の花に日本語の名前Hanabusaya asiatica Nakaiがついている事を韓国の国会議員などが「日本式学名は日本帝国主義の痕跡だ」と主張して学名変更のための文化運動を始めるという記事が気になった。

http://japanese.joins.com/article/074/177074.html

こういう、「誰々が○○を主張している。運動している。」と言うのは、中立報道のように見えるが、実際は違う。批評、注釈なしに載せること自体が賛意を意味することなのだが、賛意を示すには、その主張の正当性を確認する必要があるはずだ。

もし、「○○さんが、△△レストランが美味しいと言っている」と多くの人に言って回ったとしたら、「あくまでも○○さんの意見を中立的に伝えた」とは言えないよね。

そこで、学名について説明したいんだけれど、分類学の父とも呼ばれるリンネが開発した3名法により、動植物の名前を「属名+種小名+命名者」、コイであればCyprinus carpio Linnaeus(キプリヌス・カプリオ・リンネ)と言う風で名づけるのが決まりだ。

(現在は命名者を省いた2名法が一般的だけれど)

更に言うと、属名は固有名詞な意味で、種名はラテン語で属名を修飾するような意味で付けられる事が多い。

コッピーとも呼ばれる中国南部白雲山原産のアカヒレはTanichthys albonubes (タンの魚・白い雲)という名前で、運よく新属だったので、発見者の現地の少年タン君の名前を属名にすることができた。

実は僕も中学生のころには魚の研究者を目指していて、熱帯のジャングルで新種の魚を見つけるのが夢で、大学に入ったらラテン語を勉強しようと思っていた。そんな夢ばっかりの少年ですら、新属の発見なんて夢に見たこともなかった。もう僕の子供時代ですら、陸上の脊椎動物や花を咲かせる植物で新属を発見するなんて夢で見ることすれできない奇跡だったからだ。

でも、昔は違う。最初は学名のない生物だらけだったわけだから、世界的に主要な動植物はリンネが名づけているし、日本の主要な動植物には、シーボルトの名前がついている。

戦後の世界になっても、南米はアメリカ、アフリカは欧州、東南アジアでは日本により研究が進んでいるので、当然、発見者の恣意が入った名前になっているだろう。

 学名について、この程度の情報を得た上で、もう一度記事を読んでみると「オカシイ」と思うでしょう?

日本式学名は日本帝国主義の痕跡だ」ではなく、「自国の学術研究は外国の学者に依らなければならなかった後進国時代の痕跡だ」となるだろう。

当時の日本人学者にラテン語の見識が不足していたのかもしれないが、属名が日本語だとしても批判は適切ではない。

実はこの花は1属1種で韓国固有種の1種と1亜種しかないので、韓国人は韓国固有種に日本人の名前と憤る訳だが、Hanabusaya asiatica Nakaiという名前から判るように、ナカイさんはasiatica と種名に修飾的な意味で「アジアの」と付けており、命名者は同属の植物が世界中で見つかると思っていたのだろうし、asiaticaという名前の通り、アジアの他の場所でも生育していると思っていたのだろう。

アジアなど世界の多くの植物にまだ学名がついていなかった頃の話。学名に韓国を意味する名前を付けるは無理だろう。

報道とは、ある程度の知識の上に成り立って欲しいものである。

マスコミは東電叩きが好きなようだけれど、結局は国策会社。

国策に乗って、経産省の指導の下に経営している企業を叩いてみてものれんに腕押しなのは仕方がない。


破綻処理をしろというアホがいるけれど、破綻処理をしたら、借金は棒引きですか?原発の処理費も被害者への補償は誰が負うのですか?


銀行は貸し手責任を負えって言うけれど、国策企業で、万一事故があったとしても電気料金を上げて回収できるという企業体だから、銀行は低金利で貸している。

後からルールを変えて、責任を銀行に押し付けるのは卑怯と言うものだ。


では、誰が責任を負わなければならないか?

それは、これまでその電力の供給を受けていた者とその国策の責任を負う者。

つまり、東電の利用者と日本国民だ。

もう誰かのせいにはできない。

「原発で死んだ人はいない」と言った政治家に、原発関連死を忘れるなと非難した人は多い。なるほどそういう考えもあるのか。

 日本では毎年10万人~20万人の喫煙関連死がある。交通事故死は40年前の4分の1になったと言っても年間4,000人を超えるし、負傷者は85万人もいる。

 40年間で言えば、死者40万人、負傷者3,000万人くらいか。

 原発は、この40年間で関連死も含んで何人だろうか?


今日、インドで豪雨により5,748人の行方不明者に死亡宣告が出た。

日本では温暖化により、集中豪雨が30%多くなっているという。統計的な標準分布に考えるなら、かつてなかった様な甚大災害の発生は、大部分が温暖化によるものだ。

つまり、今日、死亡宣告が出た5,748人は地球温暖化が原因である可能性が高い。

更に、サブサハラに代表される砂漠周辺部では大量の地球温暖化難民が発生している。


判り易く言えば、原発は事故が起きたとしても、被害を受けるのは周辺だけで、放射能自体がもともと自然界にあるものなので、薄まってしまえば自然界の影響はほとんどない。

一方、CO2は地球全体で影響が起き、特に海岸に近い地域と砂漠周辺地域の影響が大きくなる。



ところで、突き詰めたところ、人類に取って不可欠なものは、水・食糧・エネルギーの3つで、不足すれば、世界は再び奪い合うことになるだろうが、日本の場合、水はあるものの、食糧は半分、エネルギーをほぼ全量、輸入に頼っている。

そんな日本がエネルギーに好き嫌いを言っているってこと自体が平和ボケなんじゃないだろうか?


少なくとも、原発輸出に反対する人は、頭の中が空洞化しているんじゃないだろうか?

相手先は、結局、どこかの国の原発を買う。それが性能が一番高い日系3社のものか、中韓露の怪しいものかと言うだけだ。

反対する意味が判らない。





橋下さんの本心は判らないけれど、彼の言っていることを少し弁明してみたいと思った。

朝日とかでは、最近、日本が右傾化しているように報道されているけれど、事はそんなに単純なものではない。

彼らのイライラの原因を簡単に言うと、「日本の平和主義者や左派が韓国の右翼に利用されている」ということになるのでしょうね。

戦後の日本が平和主義を貫き、近隣諸国の復興、発展に協力してきたことの自負を持つ人は多いだろう。

政治や経済に関わる人であればなおさらのはず。

日本が平和主義を貫いて、愛国心や祖国という言葉を使うことさえタブー視する人もいるほど(私もそうだが)

過去の軍国主義、帝国主義に敏感になっていたその間に、韓国は極端な愛国教育と反日教育を行っていた。

日本に謝罪の要求をする人たちの多くは平和主義者ではなく、好戦的で偏狭な愛国主義者だ。

日本統治時代(19101945)の政治的、社会的な問題はすべて日本人による被害として追及するが、

自国(韓国内)の問題には目を向けない。

朝鮮戦争時代に自国民に対して行った100万人クラスの大虐殺を解明しようとはしないし、

韓国軍が従軍慰安婦を1990年まで利用していたこと。

朝鮮戦争時には捕虜となった北朝鮮女性兵士や共産主義者を従軍慰安婦として強制連行したこと。

朴大統領(現大統領の父親)が国営娼館を経営し、米軍や日本人観光客相手に外貨を稼いだこと

こういう問題を抱えた韓国に謝罪をしても、韓国の右翼や偏狭な愛国主義者に政治利用されるだけだ。

平和主義者のあるべき姿勢は、自分が生まれる前の戦争を謝罪することではない。

これから起こりうる戦争を防ぎ、人と人との間に憎悪ではなく信頼を築くこと。

人であれ、国家であれ、誰かを犠牲とすることで、自分の豊かさを求めず、人と人が共に歩める社会を作ること。

だからこそ、もう謝罪は要らない。

第2次大戦後の冷戦時代を見てきた世代には陥りやすい誤解なのかもしれないが、第三世界という言葉があるように、世界の主要国は東西陣営に分かれていたが、第2次大戦前はそうじゃなかった。


第一次大戦後、寡占化する世界は米国とその勢力圏、大英帝国、ソビエト、欧州の4つに分割されて、残る東アジアを加えた5つの地域に分割されると考えられていた。

この世界観の中では弱肉強食は避けては通れない現実だったし、米英欧ソによる世界の白人支配から生き残るため、日本もまた必死だったのだろう。

しかし、本来協力し合うべきだった日中が戦ってつぶし合ったのは愚かな選択だったとのではないか。

英米ソを批判しながら、同じ罪を犯しただけに罪が重い。


第2次大戦後、戦前には予想しなかった形に世界が変わってしまって、民族自決の原則が確認された。

今では、これを基準に議論しているけれど、戦前には、民族は夢物語のようにしか思われていなかった事を忘れてはいけない

アジアではシンガポールの独り勝ち状態なんだけれど、東京はソウル、北京、香港、上海に負けてはいけないと更にガチャガチャやっています。


でもね、時代遅れ感があります。


これからの時代、多国籍企業は本社を税率の低い国に、重要なオフィスは快適な都市に置くことになると言う事に気がつかないのかなぁ。


富豪であっても、優秀な人材であっても、裕福な人は物価の高い安いは気にならないし、少々の給料の多い少ないは問題ではない。

所得が高い人ほど、税率が気になるかもしれないが、安全や環境など快適さがもたらす価値は庶民よりも大きい。


世界中が自国に富豪と優秀な人材に住んでもらいたいと思っている。

そして多くの国は誘致をしている。

経済は人、モノ、金と言うけれど、人と言えば、優秀な人材が欲しい、金と言えば富豪だ。


ある都市が、そんな富豪と優秀な人材を集めることができたとしたら、その都市が繁栄することは間違いない。


で、その町は東京か?と言えば、決してない。

若い人なら住みたいと思うかもしれないが、年を取った人、子供のいる家族は東京に住みたいと思うだろうか?

アメリカでもサンベルト等、気候の快適な都市へ人口が移っている。


日本ならば、神戸、京都、福岡、札幌、広島と言った都市ではないだろうか?

もちろん、魅力はまだまだ未開発だけれど、開発の可能性はある。

東京が外国人(とくに西洋人)家族にとって快適な環境になるのは絶望的だ。

地方都市が繁栄する事は、国民にとっても好ましい事だし、国力を付けることになる。

快適な都市と言う点では、中国では頑張っても真似できないし、気候や自然が良いという点では韓国は真似できない。


ところが、日本には広島、神戸、福岡など美しい海に面して気候も良く環境の良い都市がある。

そろそろ、日本政府も東京から卒業する時期が来ているのではないか。

今日、広島高裁が広島1区と広島2区について、衆議院選挙の無効判決を出した。

選挙の無効と言っても、今年の11月まで猶予がある。最高裁の判決で翻る可能性は高い。


とはいっても、小心者の我らが首相のこと、正直ビビったに違いないない。

山口4区が訴訟となった場合も広島高裁。

同じ広島高裁が、同じ判決を出せば、総理大臣の資格自体が無効の疑いを掛けられる。

これは政府の権力の正当性にとっての危機。


少なくても、国会自体が違憲状態とされている状態で、憲法改正なんて言える資格がないと言われかねない。


違憲状態とされていて、改正できる憲法は47条「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。」だけだ。

この「法律」の部分を「最高裁判所」に変えるのであればだ。


憲法改正とまで行かなくとも、根本的に変えるしか解決策はない。

自民党は5増5減でごまかしたいようだけれど、最高裁判所は各県に人口比+1人プラスしている定数のこの「1人プラス」が正当性がないと言っているのだから、まず47都道府県から1人。つまり定員を47人減らさなければならないことになる。

この状態で裁判所の判決とは違う形で、5増5減をやっても、無効とされる見込みが高い。


さて、安部さんはどう出るか?