書いてる途中にボタン操作間違えて書いていたことが消えました。萎えます。ホント萎えます。
ってわけでもう略してかこ。別にたいしたことではなかったし。
さて、本題。今回の派遣のバイト先で一緒になった人は見るからに気が弱そうで、常にうつむき気味で人とのコミュニケーションが上手くなさそうな感じのする人でした。その人は集合時間に遅刻したので派遣会社の事務の人に、「今日どんな人が来るんですか~?」って聞いたら、「なんかね~ひ弱そうな方が来ますよww」って返ってきました。
ひ弱な人って…確かに一目見てそうは思ったけど、そんなこと事務所の人がいったらあかんやろ。
せめておとなしそうな方、とかって言えばいいのに。
もし自分が他の人から自分を紹介するときの特徴でそんなこと言われてたらへこみますよね。事務所のクソが。考えろよ。
ま、そんなことより、いざ彼と仕事をしてみて彼に感じたこと。彼の仕事の動きの遅さといったら…もうハンパなかったんです。
私も一般世間ではとろいと言われるほうですが、あれはレベルが違いすぎました。
あそこまで遅くしようとするほうが、まず無理ってくらいです。
私にとって、彼が印象に残ったのは、その点で自分が考えるところがあったからです。
仕事を満足にこなせない彼と世間一般の人々の違いって何やろう?
そこで辿りついたひとつの仮説。
その違いっていうのは、「時間」の捉え方の違いではないでしょうか?
一般に、時間の概念っていうのは、誰にでも同じように普遍的に流れ、その時間が存在している感覚は誰にでも等しくあるものです。
しかし、時間の感じ方ってのは置かれている状況によって違いますよね?やっぱ楽しいときや集中して勉強とかしてる時だったら早く感じるし、逆のときは長く感じる。そんな経験は誰にでもあると思います。
では、状況に左右されないその人固有の時間の感じ方ってのは同じなんでしょうか?
今まではこんなこと考えもしませんでしたが、私は今回のことで時間の感じ方はひとによって違うんだろうと感じました。
大抵の人にとって、その感じ方の差に気づかないほどちっさい差だと思います。しかし、その差が広がることが、仕事にせよ何にせよ基本的な生きる能力の差を生むのではないでしょうか。
要は「時間の使い方」ともいえるかもしれません。
よく仕事のできない人ができる人から怒られる風景ってありますよね。多くの場合は、そこから自己の能力を上昇させていきますが、いくらやってもどうしようもないって人とかレベルってありますやん。
何回やっても人と同じようにできない人、どんだけ頑張ってもその道のプロにはなれない人。
死ぬほど努力して無理やったらもうしゃあないですよ。時間の根本的な感じ方が違うんですから。
元々持っている才能でできる人は誰も、どんだけやってもできない人の気持ちがわかることはないでしょう。
どうしようもない人は、本当にどうしようもないんです。できる人、それを責めすぎないでください。
その人にとって大事なのは、その、自分の持っている「時間」の中でいかにして巧く生きるかだと思います。
できない人、世間にはついていけないかもしれませんが、自分の生きる場所はあるはずです。
なんか哲学的になりましたが、これは世間でそれほど上手くやっていくことのできない自分に対する反面的な慰めでもあると思います。
まだ、今は何とか世間について生きていけています。
自分はこれから世間からドロップアウトせず生き延びていくことができるやろうか?