あの人は今こうしている 伊藤敏博さん(“歌う国鉄マン”で人気だった)
2009年07月05日10時00分 / 提供:ゲンダイネット
28年前、“歌う国鉄マン”と呼ばれた人気歌手がいた。国鉄富山車掌区の職員ながら、自作の「サヨナラ模様」がヤマハ・ポプコンのグランプリを獲得。その後も車掌を続けた伊藤敏博さんだ。伊藤さん目当てのファンが北陸路に殺到して話題にもなったが、87年、国鉄が民営化されるとプロ歌手に転向した。今どうしているのか。
●「コンサートが終わると死にたくなり、ホテルの壁に向かってブツブツ独り言を言ってました」
伊藤さんは去年5月、27年間所属したプロダクションから独立、JR富山駅前のビル2階に「株式会社伊藤敏博倶楽部風遊」を設立した。
「ボクも五十路に入ったことだし、これからは経済効率とかマーケットとかを意識せずに、自分のやりたいことをやっていこうと決心しました」
約10坪のスペースを利用してカラオケや作詞教室を開き、約25人の生徒に教えている。また、小さなステージ付きのライブハウスにもなり、すでに食品衛生責任者の許可を得ていて、いずれ“弾き語りハウス”として開業するとか。
「歌手伊藤敏博の収入と音楽教室の授業料で、まずは順調な滑り出しではないでしょうか。ありがたいことに、二十数年経っても『サヨナラ模様』の印税が振り込まれてきて、会社の収入として、家賃の一部に充ててます」
「歌手伊藤敏博」は独立と同時に始めたマンスリーコンサートが好評で、10年前、漁船に乗っていて日本海で遭難死した父親が「50を越えたら演歌を歌え」と繰り返し言っていたのに従い、“フォーク演歌”なる新しいジャンルにも挑戦している。加えて、同じ富山出身の落語家、立川志の輔に誘われ、「お笑いという禁断の園に足を踏み入れ」、去年、東京ボーイズの仲八郎、元アラジンの高原兄と“富山ボーイズ”を結成。この夏には3回目の公演の予定だ。
こう書くとずいぶん順調みたいだが、8年前にはうつ病に苦しんだ。
「ちょうど射水市に家を新築したばかりで、そこにアルバム制作やテレビやラジオ、コンサートの忙しさ、あと、家庭内では小4の子供の不登校が重なって、後ろから髪をつかまれて引き倒されるような、ひどいめまいを感じるようになりましてね。コンサートが終わると死にたくなり、ホテルに戻ったら、壁に向かってブツブツ独り言を言ってました」
かくも悲惨な状態も、主治医に「何かをしなければならないと考えてはいけない。したいことだけをする」というアドバイスに救われた。
「そうした経験をもとに、うつで悩む方にボク独自の“音楽療法”で相談に応じてます」
この“音楽療法”が効果があり、「うつで難聴になったけど、よく聞こえるようになった」「ボソボソとしか話せなかったのが、よく声が出るようになった」などの感謝の言葉が寄せられているという。結果、最近は「心の健康」をテーマにした講演会で講師を務める機会が増えたそうだ。
射水市内に夫人、高2の子供の3人暮らし。
http://news.livedoor.com/article/detail/4235356/
風遊 [ 敏博倶楽部 ]
伊藤敏博 - Wikipedia
若い頃大好きでもちろん「サヨナラ模様」から知ってはいたけど
本格的追っかけモードに入ったのは「景子」がキッカケで 地元に戻るまでの6年間
ファンクラブも入ってたし コンサートとかライブとかイベントとかよく行ったっけ
私の読み難い本名をスラッと読んでくれた人生二人目の人(一人目は高校の古典の先生)
そっかぁ・・・波乱万丈だったのね
知らなかったわぁ
ゲンダイの記事に 本気で初めて感謝かもしれない(笑)
ほんっと心に沁みるいい歌ばかり歌ってるけれど
それが売れるのとはまた違うし
そういう私も ここ数年CDは買ってないし・・・
CDウォークマン聞きながら、金沢とか親不知を旅した頃が懐かしい
こうして再び ユーチューブから抜け出せなくなる(笑)
大きなため息ひとつ・・・
過去物語とのリンクがあまりにたくさんで
夜に聴くもんじゃないとは常々思ってたけれど
昼間聴いても泣きそうになるだーよ
いつかまた 生ライブが見たいなぁ・・・。
2009年07月05日10時00分 / 提供:ゲンダイネット
28年前、“歌う国鉄マン”と呼ばれた人気歌手がいた。国鉄富山車掌区の職員ながら、自作の「サヨナラ模様」がヤマハ・ポプコンのグランプリを獲得。その後も車掌を続けた伊藤敏博さんだ。伊藤さん目当てのファンが北陸路に殺到して話題にもなったが、87年、国鉄が民営化されるとプロ歌手に転向した。今どうしているのか。
●「コンサートが終わると死にたくなり、ホテルの壁に向かってブツブツ独り言を言ってました」
伊藤さんは去年5月、27年間所属したプロダクションから独立、JR富山駅前のビル2階に「株式会社伊藤敏博倶楽部風遊」を設立した。
「ボクも五十路に入ったことだし、これからは経済効率とかマーケットとかを意識せずに、自分のやりたいことをやっていこうと決心しました」
約10坪のスペースを利用してカラオケや作詞教室を開き、約25人の生徒に教えている。また、小さなステージ付きのライブハウスにもなり、すでに食品衛生責任者の許可を得ていて、いずれ“弾き語りハウス”として開業するとか。
「歌手伊藤敏博の収入と音楽教室の授業料で、まずは順調な滑り出しではないでしょうか。ありがたいことに、二十数年経っても『サヨナラ模様』の印税が振り込まれてきて、会社の収入として、家賃の一部に充ててます」
「歌手伊藤敏博」は独立と同時に始めたマンスリーコンサートが好評で、10年前、漁船に乗っていて日本海で遭難死した父親が「50を越えたら演歌を歌え」と繰り返し言っていたのに従い、“フォーク演歌”なる新しいジャンルにも挑戦している。加えて、同じ富山出身の落語家、立川志の輔に誘われ、「お笑いという禁断の園に足を踏み入れ」、去年、東京ボーイズの仲八郎、元アラジンの高原兄と“富山ボーイズ”を結成。この夏には3回目の公演の予定だ。
こう書くとずいぶん順調みたいだが、8年前にはうつ病に苦しんだ。
「ちょうど射水市に家を新築したばかりで、そこにアルバム制作やテレビやラジオ、コンサートの忙しさ、あと、家庭内では小4の子供の不登校が重なって、後ろから髪をつかまれて引き倒されるような、ひどいめまいを感じるようになりましてね。コンサートが終わると死にたくなり、ホテルに戻ったら、壁に向かってブツブツ独り言を言ってました」
かくも悲惨な状態も、主治医に「何かをしなければならないと考えてはいけない。したいことだけをする」というアドバイスに救われた。
「そうした経験をもとに、うつで悩む方にボク独自の“音楽療法”で相談に応じてます」
この“音楽療法”が効果があり、「うつで難聴になったけど、よく聞こえるようになった」「ボソボソとしか話せなかったのが、よく声が出るようになった」などの感謝の言葉が寄せられているという。結果、最近は「心の健康」をテーマにした講演会で講師を務める機会が増えたそうだ。
射水市内に夫人、高2の子供の3人暮らし。
http://news.livedoor.com/article/detail/4235356/
風遊 [ 敏博倶楽部 ]
伊藤敏博 - Wikipedia
若い頃大好きでもちろん「サヨナラ模様」から知ってはいたけど
本格的追っかけモードに入ったのは「景子」がキッカケで 地元に戻るまでの6年間
ファンクラブも入ってたし コンサートとかライブとかイベントとかよく行ったっけ
私の読み難い本名をスラッと読んでくれた人生二人目の人(一人目は高校の古典の先生)
そっかぁ・・・波乱万丈だったのね
知らなかったわぁ
ゲンダイの記事に 本気で初めて感謝かもしれない(笑)
ほんっと心に沁みるいい歌ばかり歌ってるけれど
それが売れるのとはまた違うし
そういう私も ここ数年CDは買ってないし・・・
CDウォークマン聞きながら、金沢とか親不知を旅した頃が懐かしい
こうして再び ユーチューブから抜け出せなくなる(笑)
大きなため息ひとつ・・・
過去物語とのリンクがあまりにたくさんで
夜に聴くもんじゃないとは常々思ってたけれど
昼間聴いても泣きそうになるだーよ
いつかまた 生ライブが見たいなぁ・・・。
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