M-1王者・NON STYLEはスタイル重視!1000万円コンビが語る笑いの哲学…インタビュー
スポーツ報知
局の独り言。-nonstyle 漫才コンビ・NON STYLEは昨年12月21日に“漫才日本一決定戦”M―1グランプリに優勝し、日本では知らないものはいないほどの売れっ子になった。快活なツッコミの井上裕介(28)と、決して雄弁ではないが言葉の端々に漫才への熱い思いをのぞかせるボケの石田明(28)。上京後わずか8か月で頂点に立ったシンデレラボーイが、東京進出、M―1優勝の秘密、今後を語った。

 涙のM―1制覇から1か月半。優勝後は以前にも増して忙しくなった。今月4日にはM―1の決勝・準決勝進出コンビが再結集するM―1リターンズが大阪・なんばグランド花月で行われ、ついに優勝賞金1000万円が手元に。現金のまま持ち帰った。
石田「あの後、難波で飲んでたんですけど、オカンがわざわざ来て、100万円をぶんどって行きました。大阪の後輩はみんなたかってくるんですけど、『(高いギャラなんて)もろうてへん』って言うんですよ」
井上「テレビを見てる人はすごくもうかってるように思いがちですけど、全然ですから。入ってくるのも遅いし、入ってくる額も少ないですし。銀座で豪遊? 無理無理」

 この日、午前11時からのインタビュー後もスケジュールはぎっしり。
井上「(前日)朝4時まで飲んでいたのもあって睡眠は2時間ぐらい。このあと取材が1時間刻みで5本あって、ラジオとテレビの仕事が4本。最後はよしもとオンラインの仕事が深夜0時からで、終了は午前2時。でも、こんな日ばっかりでもないですよ。普段は6時間ぐらい眠れてますし」

局の独り言。-nonstyle 決勝では、それまで行っていなかった石田が右手で太ももを叩いてボケるアクションが観客に大うけした。
石田「ぶっちゃけると、1つのフリで2度ボケたいというのがあって。自分のボケに対して、井上の(ツッコミの)後にもう1回自分でツッコむのか、反省するのかという構想が、頭の中にはあったんです」
井上「M―1の場合、4分という時間の制約が大きい。本当は7分や10分のネタと同じようにやって笑いを取れるといいんですけど、僕らにはできない。だからああなったんですね」
石田「M―1用、競技用のネタです。あれを15分はしんどいですよ」

 達成感に浸る間もなく、2人は走り続けている。
井上「同期のキングコングとは仲がいいんですけど、M―1に勝ったから芸人として上だとは思いません。キングコングの方がいっぱいテレビでバラエティーにも出てますし。M―1を獲ってもバラエティで面白いことが言えなきゃダメだし」
石田「書いてる僕にとってネタは息子なんで、その息子が認められたという意味ではこの上ない快感を得ました。でもM―1はM―1。M―1をゴールしたことによって、いろんなことがスタートした」

局の独り言。-nonstyle 中学、高校の同級生。2000年にコンビ結成して以来、井上が主導権を握ってきた。
井上「20歳でコンビを組んだんですけど、大学にも行ってたんで、最初はこの世界でずっと生きるとは考えてなかったんですよ」
石田「僕は板前としての就職が決まっていたのに、井上がNSC受けてみようとか言うから、『何言うてんねん、こいつ』と。ほんとに目立たない人間でしたから」

 コンビ結成後は大阪・梅田、神戸・三宮の路上で修業した。三宮で1度、コブクロと出くわしたことがある。
井上「僕らが漫才をやってる場所から横断歩道を挟んだところで、歌ってはったんですよ」
石田「1回、テレビ番組の企画で対面みたいなのがあったんですけど『えっ、誰』って顔をされてましたね」

 2人の意見は合わないことが多かった。
石田「淀川の河川敷で練習していたから、僕はコンビ名を『淀川ピーナッツ』にしたかった。でも却下された」
井上「まずダサいでしょ。僕はHi―STANDARDという(日本の3人組パンク・ロック)バンドが好きで、アルファベットで似たようなコンビ名にしたかった」
石田「全身白い服を着ているのも井上の指示」
井上「見ている人に明るい気持ちになっていただく。そのためには暗い服ではよくないでしょ」

 08年4月に東京へ。上京する時も考え方は違った。
石田「東京進出も、最初は断ったんです」
井上「ちょうどbaseよしもとを卒業しなきゃいけなくなった時に、僕の中では、このままじゃあ5年先は仕事がなくなるんじゃないかって気持ちがあった。次はうめだ花月か(新宿の)ルミネ(theよしもと)かとなって、それなら東京に出ようと」
石田「僕はね、唯一頑張れるのが漫才なんですよ。自信があるとは言わないけど、ギリギリ自信を持てるのが漫才なんです。で、漫才をやるなら、大阪も東京も一緒だと。だけど漫才をやる機会が東京の方が多そうだったから、承諾したんです」

 最終的に目指すところは違うように見える。
井上「テレビも漫才も両方できないといけないと思う。テレビで面白いと思ってもらわないと、お客さんも舞台に来てくれない」
石田「僕は漫才をやりたくて、井上はタレント志向のところがある。考え方が違うのは分かってますから。僕はやっぱり漫才を減らしたくない」
井上「僕もね、漫才をおろそかにするつもりはない。というか、客の前で生で笑わせることが好き。これが結局、お笑いをやってるってことやと思うんです」
石田「生でという部分が共通してるから、ここまで一緒にやってこられたと思うんです」

 誰に影響を受けて、これからどんな芸人になりたいのか。
石田「2丁目劇場を見て育った。一番影響を受けたのは(2000年に解散した漫才コンビ)シェイクダウンの久馬歩さん(現ザ・プラン9)。それから、ナインティナインを見て、すごいなあ、こんなに明るい気持ちにしてもらえんねんなあと」
井上「僕はもともとドリフターズの『8時だョ!全員集合』が好きでこの世界に入った。将来は公民館とか回って、子供からおじいさんまで笑わせたいですね」

 ◆短編映画監督 石田自信あり ○…3月に開催される沖縄国際映画祭で石田が監督したショートムービーが上映される。石田は吉本の芸人100組がメガホンを執る短編部門の1つを担当する。すでに東京都内で都電を貸し切り、撮影も終了している。石田は「あとはいかに編集するか。撮影は面白いものができました」と自信を見せていた。

 ◆NON STYLE(ノン スタイル)吉本興業所属。2000年結成。ボケの石田明(いしだ・あきら)は1980年2月20日生まれ。28歳。ツッコミの井上裕介(いのうえ・ゆうすけ)は1980年3月1日生まれ。28歳。ともに大阪出身。06年、第35回上方お笑い大賞最優秀新人賞、NHK新人演芸大賞・大賞(演芸部門)、第41回上方漫才大賞優秀新人賞などを獲得、07年にはNHK爆笑オンエアバトルで9代目チャンピオンに輝いた。

http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090209-OHT1T00096.htm


やっぱりそうかぁ、
以前ブログにあったの撮影風景は「沖縄国際映画祭」の撮影風景だったんだ

いつか生で漫才を見たい!!


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NON STYLE - Wikipedia





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芸能@お笑い(NON STYLE) - http://ameblo.jp/kakomonogatari/theme-10010911452.html

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