拉致実行犯の元北朝鮮工作員

20060414-2

横田めぐみさんの夫である可能性が高まった韓国人拉致被害者、金英男氏を1978年8月に拉致したとされる北朝鮮の元工作員(80年6月撮影=中央日報提供

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060414-04380570-jijp-int.view-001


拉致被害者は北の工作員に、拉致犯は韓国で自営業

 高校生を拉致したスパイは転向してソウルで自営業者になり、拉致された高校生は北朝鮮で対南工作の教官になった。

 横田めぐみさんの夫だった金英男(45)氏を1978年に拉致したのは金光賢(キム・クァンヒョン/68/当時スパイ)氏で、現在韓国で自営業を営んでいることが分かった。

 韓国の高校生を北朝鮮に拉致した犯人はソウルで暮らしているが、拉致被害者は北朝鮮で韓国行きのスパイを養成する教官として生きているという分断国家の信じられないような現実が明らかになった。

 映画より劇的なこのような悲劇は28年前に始まった。1978年8月、当時40歳だったスパイ金光賢氏は、17歳の高校生だった金英男氏を群山の仙遊島海水浴場で拉致した。対南工作に若さを吹き込むためだった。家族らが涙を流しながら西海岸一帯を探し回っている間、拉致された金英男氏は北で日本人の横田恵さんと結婚し、日本語を流暢に話す鋭い目つきの対南スパイの教官として育成された。反面、金英男氏を拉致したスパイは、これから2年後に逮捕され転向した。

 有能な対南スパイだった金光賢氏は最初からこのような人生を送って来た訳ではない。金光賢氏の人生もある日突然豹変したのだ。1959年、下士として除隊し、新義州紡織工場の電気技師として勤務していた金光賢氏は、1965年はじめ(当時27歳)に突然労働党中央機関の呼び出しを受けた。その時から東海岸の某地域で「海上侵入スパイ案内員訓練所」の教育が始まった。

 1974年から金光賢氏は301海上連絡所で勤務した。この間、北朝鮮のスパイを韓国に送り、韓国に侵入したスパイを北に帰還させる仕事を担当した。

 金光賢氏の人生を再び変えたのは1980年6月18日。金光賢氏をはじめとした組員10人が黄海道海州港で乗船し、19日には忠清南道大川の西120マイル海上で機関銃と対戦車ロケットで武装したスパイ船に乗り換え、海岸からの韓国侵入を試みた。20日午後5時には最終目的地の忠清南道大川海岸に低速移動したが、結局この日の午後6時頃、韓国の海岸警備歩哨所によって摘発された。船長だった金光賢氏は逃走を試みたが、結局このスパイ船は韓国軍の攻撃を受けた。金光賢氏は当時、「自爆するチャンスもあったが、死にたくなかった」としている。

 金光賢氏は記者会見で「過去の日々の愚かさと罪深さを感じる」とし、韓国側に転向の意を伝えた。この後、「現在も北朝鮮の住民らは偽の宣伝に騙され重労働に苦しんでいる」とし、「今後、北朝鮮からの赤禍を粉砕することに協力する」と話した。

 この後金光賢氏は韓国に帰化し、ソウルのマンションで暮らしていた。金光賢氏の某知人は、金光賢氏について「ソウルで結婚もし、大学生になる息子もいる」とした。この人物は「金光賢氏は京畿道で自営業を営んでいると聞いている」とし、「最近私の事務所に植木鉢を持って訪ねてきて、資金の援助を求めてきた」と話した。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/14/20060414000032.html



許せないのは 人の人生をめちゃくちゃにしておきながら 自分は普通に家庭を持って幸せに暮らしていること

罪深い事をしたと本当に思っていたとしても 拉致され他国に連れて行かれた人の人生の責任を どうとってくれると言うのか

北朝鮮という国が 責任をとれるとは思わない 取ろうともしないであろう


日本もずーーっと何の対策もせず どっかの党の方々は何度か行っても うわべだけ見て帰ってきてたじゃん

みんなあの国は信用できないって言ってるのに 政治家は今まで何をしてきたの?


あの画一化された不気味な笑顔の子供たち 可哀相でならない


拉致問題の解決と一緒に あの国が崩壊し あの気持ち悪い笑顔の子供たちが 心の底からの笑顔を取り戻す事を・・・・望む・・・