自省録 | arigioari

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現在の徒然なる思いの、寄せ集めです。

私の自由意思にとって隣人の自由意思は無関係の事柄である。それは彼の息と肉が私に無関係なのと同様である。たとえわれわれがいかに特別にお互い同士のために作られているとしても、我々の指導理性はそれぞれ自己の主権を持っているのである。さもなければ隣人の悪徳は私のわざわいとなってしまうであろう。しかし神はこれを善しとせず、私を不幸にする自由を他人に与えぬようにして下さった。 (アウレーリウス8の56)

「自省録」を読んでいると、その作者の苦々しい思いがよく分かる。彼のまわりの現実がどんなに吐き気をもよおさせるものであったか。人間との関わりがどんなに悪のメカニックに動かされるものであったか。たぶん彼は心の眼を閉じて、世をわたったのであろう。心を秘かに保ちながら、石の目を世にさらしたのだろう。そしてふと見つけた一人居の時に、彼のペンはおのれの心をさぐる錨だっただろう。その錨がこのぼくの心まで届く。