宝塚歌劇団労働組合の歴史

 宝塚歌劇団は、1948年(昭和23年)に労働組合が設立され、宝塚歌劇団の作曲家、指揮者の須藤五郎先生が委員長、天津乙女さん、春日野八千代さんが副委員長に就任されますが、須藤先生は不当解雇され、天津乙女さんは労働組合の大変さを小林一三先生に話して相談した事で劇団理事にされて労働組合から抜けてしまいます。また、1977年、63期生入団からタレント制度(研8からタレント契約、2007年93期生入団から研6からタレント契約)が導入され、労働組合は解散となりました。

 

 

 

 

 表向きはプロの自覚を持って貰うためと説明されていましたが、タレント契約は労働組合潰しの側面もありました。代わりに女子会が出来ましたが、労働組合として機能していない事は、一昨年の事件があった事を見ても明らかです。言葉は悪いですが、阪急はタカラジェンヌ達から搾取を強化、抵抗や反抗を出来ないようにして権利を行使させたくなかったいたのではと思ってしまいます。

 

 

だからこそ、驚いた

 期待しても、所詮、宝塚歌劇団は変わらない。何が悪かったかも結局は分かっていない、と期待しては裏切られてきた私は思う様になっていたので、今回の以下のリンク先の記事にとても驚きました。特に、6年目以降も雇用契約を継続するという事に驚いています。

 

 

   6年目以降も雇用契約になるという事は、これまでの労働組合潰しとは逆の道を行くという事。これで、少しはタカラジェンヌだけでなく、劇団で働く裏方も含めた人達の人権について、ちゃんと向き合ってくれるのではないか、と一筋の希望を感じてしまいます。本当にそれが出来るのかどうかは、まだ、残念ながら半信半疑なところはあるのですが、ここにきて、宝塚歌劇団の本気の改革を感じました。今度は、今度こそは信じたい……。

 

「ただいま、宝塚歌劇団」って、言いたい。

 

 まだ、色々と心配する所、信じきれない所はありますが、どうなっていくか見守っていきたいと思います。

(記憶が曖昧な部分に関する記述は削除しました。2025年1月14日、23時41分)