エントロピー的な考え方で物語を作れないかと思考してた時期がありまして。


物語の内部にエネルギーがたまっていて、物語が進行するにつれて緊張状態が高まってきて、クライマックスに何らかのきっかけでそのエネルギーがドドドドドッ!と発散される。みたいな構造モデルでもって、話を作れないかなぁと。しかも物語全体の構造だけでなく、一種のフラクタル構造を持たせて、物語の細部もこのモデルでどんどん作ってしまおうと。


私、物語制作の初歩としてよく語られる起承転結という言葉は、それ単品で用いられてる限りはそんなに実用性を持たないんじゃないかとずっと感じてまして。当然、物語には始まりと終わりがあります。でもその内実って何なんでしょう。それを分かりやすくする一つの方法として、このモデルが利用できるのではないでしょうか。


例えば、

・ある会社と会社が対立していて、お互いの製品シェアを食い合ってる(緊張状態)

・ライバル会社が新製品を開発して、このままでは顧客を全部持っていかれかねない(緊張状態の増幅)

・発想の転換で既存の技術をそのまま利用して、より性能の高い新製品を開発する(ドカーン!逆転!)


この例において緊張状態とは、すなわち会社同士が競い合っている状況。相手の会社が新製品を開発することによってこのパワーバランスが崩れるかもしれないという展開がやってきます。開発時間の猶予が無い中で、ある発想により、新技術を用いることなく性能アップという突破口が見えて、めでたしめでたし。緊張状態は見事に発散され物語は完結するのです。


(ちなみに、この局面においてはこれで終わりですが、「枯れた技術」というのは非常に優秀でありながらも、いつか寿命を迎えます。いずれは主人公の会社でも新技術の開発を余儀なくされるでしょう。それを第二幕にして次回につなげても良いですね)


同じように、緊張→増幅→発散の仕組みを用いて、物語の内部を満たしていくことも出来ます。


例えば、

・出社してみると何やら課長のデスクの周りに人が集まっている(緊張状態)

・自分もそこへ行ってみると同僚から「お前、この記事読んだか」と聞かれる(緊張状態の増幅)

・課長の前にはビジネス誌が置かれていて、ライバル社の新製品開発の記事が載っている。その事で議論していたようだ(なぜデスクの周りに人が集まっているのかという疑問の発散)


とても淡い大したことない緊張ですが、「デスクの周りに集まって何をしているんだろう」という疑問を解決するために、主人公は自分もその輪に加わるという行動に出て自身の疑問を解決しています。取り組むべき問題、解決したい疑問があるからこそ、主人公が行動し、物語が動くとも言えそうです。


またデスク周りの珍事は解決しましたが、その際にライバル社の不穏な動きという、次の展開を生むための緊張感も創出されています。この緊張感を用いることによって次の発散への動きも獲得できるでしょう。この連続のリズム感が良いと、おそらく「テンポのよい気持ちのいい作品」とかいう評価を得られるのではないでしょうか。


さて、私の下手な例をたくさん挙げても皆さんを混乱させるだけでしょうから、これくらいにしておきます。


もしこの考え方に興味を持たれた方は色々思考してみてくださいませ。私は「緊張状態」とか「エネルギー」「エントロピー」という言葉を用いましたが、もっと自分にとって、しっくりとくる言葉があれば、それに置き換えてしまうのもよいかもしれません。

この考え方、エンタテイメントのみならず、色々なジャンルに応用できそうだと思うのですが、どうでしょうか。


「物語にそういう構造を持たせるという考えた方は分かった、でも簡単にはそんなもの思いつきませんよ」ということもあるかもしれません。次回は「キャラクターが物語を引き連れてくるよ」と題して、今回のアプローチを少し違った視点から考えてみようと思います。


ご精読ありがとうございました。

前回の自己紹介記事で大風呂敷を広げた後、この勢いで何か偉そうなことを書いちゃうぞ、へっへっへ、と筆を進めていたのですが、操作ミスでうっかり全文消してしまいました。


私は4種類のブラウザを使っているのですが、その日はちゃんと使い分けができていなかったのですね。「しまったこれはIEで書いているのだった」今後もちゃんと使い分けないでしょう。


そんな人為的事故のおかげで、私は少し目をさましまして、少し落ち着いてからこの文章を書き始めたのです。鉄は熱いうちに打ちますが、カレーは熟成させて出したほうが良いですね。どうぞ皆さん冷めたカレーです。



たかがブログを開設したくらいで大げさですが、いざこうして(公序良俗に反さない限り)何書いてもいいよとなると、ちょっと困ってしまうわけですね。


何かを言ってみたいから始めたわけですが、はて、何から言いましょうか。白紙を前にしても、ある種のルールが無いことには書き始めるのって難しいですね。一度筆がのってしまえばいくらでも書ける、という話をちょこちょこ耳にするのも、裏を返せばこの辺が要因なのでしょう。


この「ある種のルール」をうまく自分で設定できる人というのが、実のところ、自律的な人だったり、創作の上手い人だったりする気がします。白紙はとても手ごわいものですね。


設定を定めないで自由さを確保したまま物語を作りたいと知人の一人が言っていましたが、それは素敵な思想なのだけど、非常に難しいことなのではと思います。設定に則って筆を進めると次々面白いことを思いついてしまう、そんな物語の大枠を作ることこそが、創作の第一歩ではないでしょうか。


もちろん、書き進めるうちに物語の大枠が見えてくるパターンも大いにあり得ます。むしろその方が多いのかな?そのような経過をたどったと思われる作品もたくさん見かけますから。でも、少し偉そうに言ってしまうと、そうした大枠が定まった時こそ、その作品の誕生した瞬間と言えないでしょうか。言いすぎかな。


白紙が持つ無限の可能性を一度枠で覆ってしまうことで(その枠が適切なものであれば)具体性を帯びた物語がどんどん生み出されてくる。そういう風な仕組みで話が作れれば、きっと楽しいだろうなと私は思っています。



さて、今後私がブログを楽しく書いていくための枠を決めてしまいましょう。

「まさに今考えていることを書く」「実感していないことは書かない」「分からないことは分からないと言う」


少し散らかっていますが、ひとまずこういう気概で書かせていただきます。

皆さん、改めましてよろしくお願いいたします。

私には、何した、これした、という実績らしきものありませんので、紹介するような事柄は無いのですが、ひとまず大学6年生だということだけは明かしておきます。


このブログは私が日々考えている事柄、特に創作物や創作行為についての私見を書き連ねる場にしていくつもりです。


これから私が書いていくであろう記事を読んだ皆様が、その内容について、参考にしたり、考える種にしたり、腹を立てて反論したり、共感して話を広げてくださるようなことになれば、とても幸いです。


何とかして、そうした質のものを提供出来るように努力しようと、ひとまずは決心しておきます。

はてさて、今後どうなることやら。


どうぞよろしくお願いいたします。