昭和元年
初代店主、松本松吉は、「かき船」を広島市矢野町にて建造し、それを蒸気汽船によって引っ張り、金沢市まで運び、市内犀川にて10月~4月(牡蠣のおいしい時期)まで営業を行っていました。
そして、牡蠣のシーズンが終わると、また蒸気汽船によってかき船を広島まで戻していました。
かき船で働く女中さんは良家の子女が多く、行儀見習いのためもあり、喜んでかき船で働いたそうです。
ちなみに、従業員は広島の方々で、シーズンは皆そろって金沢まで行っていました。
金沢の営業で使う牡蠣は、広島産のものを配達業者に委託して、配送してもらっていました。
当時から広島では牡蠣の養殖も始まっていて、それを調達する場合もあったようです。