みなさん、こんにちは。

講師の谷洋平です。まず自己紹介をさせていただきます。

 

名前:谷洋平

出身:京都府宇治市

担当教科:英語・国語・社会

趣味:仏像鑑賞

 

先週の土曜日、京都に戻り友人に久しぶりに会いました。

その友人とは、Mくんという私の高校の同級生で、ライバルでもあります。

彼は、神戸の大学で平安時代の和歌を研究をしていて、私も平安時代を専門に勉強していたことから、

よく、平安時代の話で盛り上がります。

 

皆さんは国語の勉強は好きですか?

国語にどうやって興味を持てばいいのか、わからない人もたくさんいると思います。

そこで、なにか面白い話がないか、M君に質問してみました。

興味をもって読んでいただけると、うれしいです。

 

 

谷「8月に夏期講習で中学生の生徒たちに話しするのにピッタリの夏の和歌はありませんか?」

 

M「谷さん。あなたそれでも塾講師ですか?昔の暦でいうと8月は秋なのですよ。厳密に言えば8月8日からですけど。」

 

谷「何ですか。昔の暦って?」

 

M「平安時代の貴族が使っていた暦ですよ。太陰暦ってやつですね。まあ、あとこれは暦ではないんですが季節の区切りとしての二十四節気ってのもありますね。」

 

谷「何ですかそれ?」

 

M「あなた、太陰暦は知っているでしょう。月の満ち欠けにのっとって作られたカレンダーですよ。」

 

谷「聞いたことはありますね。じゃあ、二十四節気っていうのは?」

 

M「こっちは太陽の運行を基準に作成された季節を区切るための基準ですね。聞いたことありませんか?春分とか夏至とか。」

 

谷「それで?」

 

M「二十四節気の中に立秋というのがありましてね、今年では8月8日くらいですよ。太陰暦に直すと1か月くらいずれますから太陰暦の7月8日から秋だと。つまり、今年は8月8日から秋なんです。」

 

谷「ええ、秋なんですか?この特に8月の京都はムシムシするのに。」

 

M「谷さん、そこなんですよ。二十四節気は中国で作られたものを日本でそのまま使っていたから当然、ズレがあるんです。それが当たり前なんですね。」

 

谷「それで?」

 

M「こんな歌を紹介しましょう。『古今和歌集』にある藤原敏行の歌です。

   

     秋立つ日詠める

 

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

 

 

まあ、歌の意味は、立秋の日に詠んだ歌で 秋が来たと目には見えないけれどドォーと吹いてきた風の音ではっと秋の訪れに気が付いた。みたいな意味ですね。ここの驚くというのは、はっと気が付くという意味なのです。あと、「れ」は自然とそんな気持ちになるみたいな意味ですから、気付かされるという意味でもあります。」

 

谷「いい歌ですね。」

 

M「ですけどね谷さん。こんな事が本当にあると思いますか?風が吹いて秋が来たって気づくとかどうか?」

 

谷「まあ、でもこの藤原敏行と言う人はそう思ったんじゃないですか?」

 

M「そこが、この歌の大事なところなんですよ。もう立秋で、少なくとも二十四節気っていう季節の基準の中では秋が来たと。

でも全然涼しくないわけですね。我々も京都に住んでたわけだから、その暑さはよくわかるでしょう。

だって平安時代にはエアコンなんてありませんからね。贅沢三昧の貴族様だって、今から比べたら相当厳しい環境に身を置いていたわけですね。もしあなたがこの話を生徒さんにするなら、その時は蝉が鳴いているかもしれません。平安時代でも同じように蝉が鳴いているようなこともあったでしょうよ。でも立秋というのはあくまでも基準ですからね。全然涼しくないぞって勝手に変えられないわけですよ。

だからこそ、自分を騙し騙ししてなんとかコジツケして、ああやっぱりそれでいいんだっていう納得をしないといけないっていう、平安貴族っていうのはそういう人たちなんですね。」

 

谷「なんだか、可哀想ですね。」

 

M「でもね谷さん、彼が聞いた風の音はたしかに秋の風の音だったんですよ。

風の音に季節を感じるっていうのは、実は中国の古い習わしでね、『礼記』という中国の古い書籍に「孟秋ノ月…涼風至ル」つまり初秋・立秋には涼しい風が吹くものだって書いてある。この『礼記』ってのは中国で書かれた書籍ですから中国語というか全部漢字で書かれているわけです。平安貴族は相当、高いレベルの教養があったというか、それくらい読めて当然ていう社会だったんですね。彼だけじゃなく、平安貴族はみんなそうやって季節の変化を見つけてはしみじみと季節がたしかに移ろうのを感じて、歌に詠んだ。

彼は、全然涼しくない秋の訪れを、みんな知ってる中国の書籍・習わしを通して再認識して、そういうもんだと実感するしかなかったってことですよね。

そして1000年後の僕たちがこうして鑑賞できるわけですね。だけど、彼の詠んだ歌を理解するには、我々も、同じくらい勉強して、教養を身に着けないと本当に和歌を理解なんてできない。和歌というか国語科っていう教科はそういうものなんですよ。数学、理科、社会、英語などのすべての教科の知識をまんべんなく勉強して、物事の本質に迫るんです。」

 

谷「へぇ。そうですか。」

 

つづく。