もう、
そのまんま元夫すぎて、わらえてきちゃう。



明らかにさっき言ったことと全く逆の方向に持っていくのは、ただそのときに俺にとって都合のいいことを短絡的に選んでいるだけ。それは当時もわかってた。

それでもなんとかキレてみたり俺かわいそうぶってみたり、子供を人質にすればどうせ思い通りになると思ってるのは、
そうか、私という人間をナメてるから、だから恥ずかしげもなく脈絡のない日和見な行動を堂々とできるのか。

そうだな、ナメられてたんだなー。

あの異常な空気、威圧と「気に入らないと思われたら地獄の恫喝と蔑視と無視の攻撃にさらされる」恐怖を、確実に家庭内に充満させることに成功していたんだ、元夫は。

そんで、私もその中で、その息苦しい空気をこれ以上波立たせないような「手助け」をしてきた。
望んでそうしたわけではなかったけど、結果的にそういうことなのだ。


でも、あのモラハラ生活の前半はそうだったけど、その中であらゆる努力をしつくして離婚を心に決めたから、

後半は離婚の準備を水面下でうまく進めるために敢えて波立たせない面と、

「彼を怒らせないようにやりたくない選択をしても、自分の心のままに選択しても、結果はどちらも「暴力をうける。」
だから敢えて自分の心を優先させて波風を立てつつも自分を大切にするリハビリをする面と、
両方をうまくコントロールしていった。


元夫は自らの中にある怒りに従って自由に支配していて、「でもそのときになればなんとかできる」とたかをくくってた。

あの日いつものように暴れた後に、私と子供が車で出て行く準備を終えたのを見て、焦っただろうな(笑)
パニクったんだろーな(笑)

調停も泣き落としも思い通りにいかなくて、ふてくされたんだけど、変わらなくて。
支配が崩れた時って、どんな気持ちだったのかな?

次のゴミ箱になる女を探せばいいってなっただろうけど、そこに私に対する憎しみとか、バカにしてた女にやり込められた悔しさとか、感じただろう。

あれから7ねんくらい?経って、どう生きているのかな。
すこしは元夫、自分の中に意識を向けることができているといいね。

ゴミ箱になるの辞めて、よかったー。
3度目の面会は連絡の来ないまま。
養育費もなくなったまま。

あれ以来、元夫から連絡の来ることはありませんでした。

息子もなんでも喋れるのだし、
面会で息子が喋ったことから色んなことバレてしまうこともあり得たので、
重ね重ねいいタイミングで、私の思い通りに事が進んだなぁ、と思います。

元夫のアドレスも消しました。

そもそも、元夫、また怒りに任せて携帯を2つに折ったりとか、なんだかんだ私の電話番号わからなくなったのかもしれないですね(笑)



2〜3年前、うちの市の大きな公園でやってたフェスティバルに、息子と友達親子といったとき、
ジャンル違いなのにトルコのスタンドが出ていて、
そのなかに元夫がいたことがありました。

トルコ人は男同士つるむ習性があるので、友達の店を冷やかしに来ていたのでしょう。

もちろん私はすぐに気づいて、なるべくそちらを見ないように、子供から離れないようにしました。
そして元夫も気づいて、友達と4人くっついて、わざーと私たちが座っている半径2,3mを歩き回って見たり、腰かけたりしてました。

私は友人たちに状況を伝えた上で、元夫のことは無視。

元夫たちは最後まで話しかけて来ることもなく、しばらくして消えて行きました。


子供にもパパがいるよーなんて言わなかったのだけど、流石に2歳から会ってないので、息子は気づきませんでした。


もし話しかけて来たら、「父親の義務を果たしてから声かけてこい!」と言う!
と、心のなかで繰り返しながら。


それにしても、結局まだ日本にいた!というのはやっぱりガッカリでした。


私たち親子は、子供が小学生になるのとあわせてマンションを購入して再び引っ越しており、
元夫にマンション見つかって引っ越すなんて嫌なので、
やっぱり建設現場の横を子供と通るのは今でも避けていたり、
道路を歩いていても建設関係のトラックが走ってたりすると反対側を向いて歩いたりしてます。

ひさびさにブログ再開を宣言したものの
以前のDV関連生活とはかなりギャップがあって、
なにを書けばいいか分かんないや、そういえば。

5年も経ってるんだもんな。


日本で協議離婚の形(笑)で離婚。
すぐに引っ越したいエリアの保育園の抽選に応募。
無事入園が決まって、急いで引っ越し先を探して入居。
荷物も片付かないまま、2歳児クラスに入園。
某国での離婚と同時進行で新生活だった最初の一年。

当時、離婚して社会に帰還したとき。
親友には喜んで迎え入れてもらえて、すごく強い心の支えになった。
2/3の友達は変わらず疎遠のまま。
母親となった身、結婚前と同じように遊べないこと、
天真爛漫だったのに、凄く静かになってしまって、
ニッコリはしてもアハハ!と笑うことのなくなった私に再会して、気まずくて距離をとってしまった友達も。

少なからず淋しかった。けど仕方ない。

当時、人と喋るのにはとっても体力が要って、
友達と会ってランチでもしようものなら決まってすごい頭痛が始まるので、
毎日頭痛薬は常時携帯。
うっかり持って来てなくて買ったりして、家に使いきれない鎮痛薬が…
気を張って、頭の中で言葉を選び選びするクセがついてしまってたからなのかな。

そんな感じなのと、元々「ママ友」とかは欲してなくて、新天地でも2年間は殆ど友達できず。

年中になって仲間と遊ぶということを覚えた息子が
仲良しになった子たちのお母さんたちと自然と仲良くなった。

それからは交友関係も増え、少しずつ自分を解放しながら、チャレンジしながら、ようやく自分らしさを取り戻してきた。

一年くらい前だ、頭痛しなくなったの。



今や小学3年生の息子。
とってもとっても優しい子に育っているの!

学童に預けているんだけど、学童でも女子たちが「〇〇(息子)優しいよねー!」って話してるの聞いたりする。
乱暴な子とは合わなくて、同じくほわーんとした男の子たちととっても仲良し。

甘えん坊で、8歳の今でも歩くときは手を繋いでくる。同級生とかいるとパッと手を離す(笑)
私と討論することもあるし、外では母とうまく距離を取り、順調に自立心が育ってきている様子。

動物や自分より年下の子に特に優しい。
同級生とはゲームの話とか、ふざけて走っちゃって先生に叱られたりとか、よくある小学生男子ってかんじ。

私を守るという気持ちが強くあるようで、保育園の時から今でも、外歩いてて車来ると私を道路の端に引き寄せてくれる。

本当にこの子に助けてもらい、愛をもらい、母としての喜びを与えてもらい、感謝しかない。
宝物だ。



離婚して今まで、1日たりとも離婚を後悔したことはない。

嫌な思い出というのは脳が忘れるように出来てるのか、すっかり思い出すことはなくなっていた。

だからこないだ久々に過去記事を読んで、「酷い生活していたな」と、我がことながら驚愕!

忘れられるほど、ほとんど元夫とは関係がなくなって平和な日々なのです。