中部ジャワのムラピ火山など3000㍍級の山裾にある町。ジョクジャカルタからスマランを結ぶ国道上にある。オランダ時代からジャワ防衛の一核を担う軍都であった。日本時代もここに第16軍の中部防衛司令部が置かれた。敗戦直後,和蘭軍の侵攻を前に住民たちが武器寄こせと日本軍の兵舎を襲ったが、マゲランでも、この騒動に巻き込まれて憲兵分遣隊員10人が郊外の茶畑で惨殺される痛ましい事件が起きている。現場には戦後戦友たちが慰霊碑を建てている。マゲラン市内には独立戦争の英雄、スデルマン将軍が結核で倒れ、最後の息を引き取った家が残っており、今は博物館として公開されている。

郊外にある少女養護施設「ぺランギ」(虹)は三菱自動車の元インドネシア駐在員だった杉之内正行さんが長年のインドネシアへの感謝をこめて建てたもので、建物は戦後すぐの時代ラジオドラマで有名になったとんがり帽子の時計台を模して造られている。施設の運営は杉之内さんの私費で行われている。