昭和区にあった雨池(竜興寺池)通称天池:天池町(消滅した町名)について調べました。 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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雨池(竜興寺池)通称天池、天池町について調べる。

昭和区にありました

「雨池(竜興寺池)通称天池」は天池町の地名の由来になっています。

現在の御器所3丁目の半分くらいは池の底だった。
埋め立てられたのは大正5年(1916年)という。

↓参照

↓明治24年の地図より

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↓大正13年の地図より

 

天池町の町名の由来は、

当地にあった新雨池(龍興寺池)に由来する。

池は大正末期から昭和初期に埋め立てられ現存しない。

埋め立てには第一次世界大戦のドイツ人捕虜が多数使用されたとされる。

天池町の沿革

1931年(昭和6年)4月1日 - 中区御器所町の一部により、同区天池町が成立。

1937年(昭和12年)10月1日 - 昭和区に編入され、同区天池町となる。

1972年(昭和47年)8月1日 

 - 昭和区御器所二丁目・御器所三丁目・恵方町・天神町がそれぞれ編入され消滅。

↓この文献・昭和区誌等より

通称「天池」は大正10年発行の名古屋地図には「竜興寺池」と記されている。

池の北側に隣接する名刹「竜興寺」がありその為と思われる。

この辺りは、昔から農家が建てこんでいた。

むらの西部は低く、かなり広い水田が開けていた。

竜興寺池(雨池)は、その台地の端の凹地に造られた溜池であり、

水田灌漑を目的として築造された

 

昭和期に入り、埋め立てられて町屋となり昭和40年頃までは「天池通り商店街」

として賑い栄えていた。

(付記)

 

👇デジカメ;雨池(竜興寺池)通称天池近辺にて

↓八幡山古墳の前を通り南に向かうと緩い坂が始まる

↓池の痕(底)に高度の建物建築はダメの建築協定??

↓旧、天池通り(天池商店街)の南側道路は急坂

 

↓石垣の上は尾陽神社が建つ。

 

↓天池通り(天池商店街)の筋

 

↓八大龍王社…天池通り(天池商店街)の筋の北

 このあたりは、が池の底だったと資料に記載あり。

※八大龍王社が龍興寺ヶ池には龍が棲むという伝説があって、

 埋め立てにより、池がなくなると祟りを恐れ社を建てた??

 

↓池の名前にもなった龍興寺…東側に八大龍王社があり。