瀬戸市・一宮市・春日井市・小牧市・犬山市
の地名の由来について
👅文献
瀬戸市
↓文献より
名古屋地方では「陶器」のことを「せともの」呼ばれている。
『陶(すえ)』とは「陶器(すえき)」のことで、
地名の場合、「末(すえ)」の字で表現されることが多いです。
例)
千種区末盛、小牧市の上末、下末も実は「陶盛(すえもり)」の意味で
共に「陶器(すえき)の窯跡が発見されています。
瀬戸市の「せと」も「スエキ」が訛って「せと」となったとの由。
「すえと、すえと、すえと・・・」と何度も発音していると数回目には「せと」になりつつあり。
『戸』は「家」で、「家々」や町を表す場合があります。
例)江戸、水戸、釜戸、八戸など
瀬戸も「陶都(すえと)」の意味になった町だったと想像される。
(付記)
↓Wikipediaには次のように記載
「瀬戸」は、瀬戸内海や早鞆ノ瀬戸のように「瀬戸に挟まれた内の海」を意味する言葉であり、
通常狭い海峡の出口のことをいう。
しかし、
元々は「瀬の開ける場所」、すなわち「狭くて流れが急な場所から開けたところに出る場所」
を意味しており、瀬戸市におけるの「瀬戸」も、その地勢からとって「狭い山間を流れる川が
急に開けた場所」を意味する。
また「陶処(すえと:陶器の産地)」が転じたとする説もある。
一宮市
↓文献より
尾張の国一宮とは、真清田神社に由来する。
一の宮とは、その国第一位に位する由緒ある神社で全国各地にあり。
この真清田神社は格別に格式が高く、延喜式神名帳の中島郡の頁に
「正一、真清田神社」と記されている。
(付記)
↓Wikipediaには次のように記載
「一宮市」という名称は、尾張國一宮である真清田神社があることに由来する。
春日井市
↓文献より
市名は明治13年、東春日井郡と西春日井郡に分かれる前の「春日井郡」からとられた。
この「春日井」は、「春日部(かすかべ)」から転化したもので、藤原京から出土した
木簡に「春日部」と記載があり、康治2年(1143)の京都醍醐寺の文書などにも
「春日部」の記載例がある。
また「春日井郡」の記載例は16世紀以降に多く見られるようになり、江戸時代以降は、
ほぼ「春日井」に統一されているとの由。
↓Wikipediaには次のように記載
尾張藩初代藩主徳川義直により「春日井村」と命名されたのが始まりとされる。
その昔この辺り一帯は荒野で春日井原と呼ばれていた。
第24代仁賢天皇の皇后に春日大娘皇女という人がいて、その御名代部という領地が
尾張東部にもあった。
その領地を管理していた人たちを「春日氏」や「春日部」と呼んでおり、それが地名
となり春日井となった。
第二次世界大戦の最中に鳥居松村、鷹来村、篠木村、勝川町が合併し、東春日井郡の
中央に位置していることから「春日井市」となった。
また、
延喜式には「春日部」と書かれているが和名抄には「賀須我部」と書いてあり、
起源ではないかと言われている。
小牧市
↓文献より
「尾張地名考」によると、
正しくは「小馬飼」」で、「こまかい」が訛って「こまき」になったと記載あり。
「昔この町には、馬市が立っていてがその後中断したが、しかし寛永年間になって
再開」したという。
さらに、小牧山のことを「曳馬山」とも言っていたと記載されている。
また、
「小牧町史」には、
「太古の昔、この辺りまで伊勢湾が入り込んでいた頃、小牧山は海の中の小島で、
この島の辺りで潮の流れと風向きが変化したので、舟の帆を巻いて舟の向きを調整
した為、この島を「帆巻き」と呼んだ。この「ほまき」が「こまき」に変化した
のでないか」と記載されている。
「馬」説を取るか「舟」説を取るかは??です。
↓Wikipediaには次のように記載
太古には小牧山西麓付近まで海で舟の出入りがあり、舟人が遠くよりこの山を目標に帆を
巻いたところから帆巻山といったと伝えられ、
また、
中世には当地で馬市がよく催されていたため、曳馬、引馬、駒来と呼ばれてこの地名が
ついたともいわれていますが、
はっきりしたことはわかっていません。
犬山市
↓「犬山」の由来(昭和37年犬山市教育委員会発行「郷土読本」より)
大昔、この地方は犬を用いて狩をするのによい場所であったからと言われる説があります。
犬山の語が狩猟の意に用いられていることは、中古の物語や戦記物語にもみられます。
小野山が転じたと言われる説。
和名抄に「丹羽郡小野郷」と書かれていますが、この中に岩田(塔野地、前原)岩橋(橋爪、五郎丸)
の郷名を欠いているので、この小野郷というのが犬山のことではないだろうかと言うことです。
この小野山が変化して犬山となったとも考えられています 。
楽田の大縣神社の祭神、大荒田命は針綱神社の祭神玉姫命の父君で、その地から犬山は戍亥の方角に
当たるから、いぬいが犬山と転じたという説もあります。