私「洋ちゃん」、
昭和38年代は西区内にある某高校、
さらに仕事で2年間程、西区内を担当していました。
その時から、
西区秩父通り筋にある、
『西ハサバ』の地名の由来は、何かなぁと思っていました。
※現在「市バス停」になっています。
- 先日、
- ☟図書館で、この書物を見つけ69ページに、
- 『西区と北区の境の地名「ハサバ」はどういう意味なのか?』
- と書かれています。
- 、
- 書物より、
- 西区田幡町に「西ハサバ」という字(あざ)をもつエリアがあり、
- この字(あざ)による地名と分かりました。
- 西区田幡町について
- (注)西区田幡町の存在を全く知りませんでした。
- ↓
- 2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は
-
西区 田幡町 8世帯 18人 -
西区 田幡町 全域 上名古屋小学校:浄心中学校 - (付記…1)
- 田幡は、
- 現在の行政地名として、
- 北区田幡には1丁目・2丁目、北区田幡町には3つの字が、
- 西区田幡町には1つの字がある。
- (西区と北区にまたがって現存する田幡町と、昭和時代に新たに編成された田幡からなる)
- 現在は地理的に離れて存在しているが、
- すべて西春日井郡田幡村をルーツとする地名である。
- その田幡村には、
- 西ハサバ(にしはさば)
- ハサバ(はさば)
- と読む「字」が存在していた。
- (付記…1)
- 西ハサバ交差点の名前の由来について…ネットより
1.「川と川の間が狭いという『はざま』がなまった」説
2.「機織りの『機場(はたば)』がなまった」説
3.「稲架(はさ)」のある場所としての「稲架場(はさば)」とする説
『なごやの町名』には次の記述がありました。
p.219 上名古屋一~四丁目
当地は庄内川から引いた江川用水が流れていたため、水田に適した土地であった。 - また水利が良いので、江戸時代から染め物を行うようになる。
- 明治になって繊維工業の発達に伴いこの地域の染め物と一体になってメリヤス工場が多く建てられた。
p.224 城北町
「昭和四〇年代までは、江戸期から続いた染め物を干す光景が見られた」 - (付記…2)
- 上記、書物の一部をスキャン