先日、
旧町名「西区江川町」辺りを訪ね、
帰宅後、
町名の由来等を調べました。
(付記)
私「洋ちゃん」、
実は西区にあります某高校卒で自転車通学、
さらに、
昭和45年に西区管轄の事務所に一年間勤務、
この近辺の変貌ぶりに関心しながら散策してきました。
↓〇赤丸辺りを散策…□青は江川町交差点
西区江川町の沿革
承応2年(1653年) - 御鷹匠町の一部であった地域であるが、この年に独立。
1871年(明治4年) - 新馬場・樽屋町・蛯屋町の一部をそれぞれ編入する
1878年(明治11年)12月20日 -名古屋区江川町となる。
1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立により、同市江川町となる。
1908年(明治41年)4月1日 - 西区編入により、同区江川町となる。
1980年(昭和55年)10月12日 - 一部が西区花の木一丁目に編入される。
1981年(昭和56年)8月23日 - 西区浅間一丁目・浅間二丁目・城西一丁目・城西二丁目
・花の木一丁目にそれぞれ編入される。以降、堀川部分に一部が残る。
西区江川町の町名の由来
↓ネットより引用
町域の西側を南北に流れていた江川に由来する。
↓名古屋の地名よりスキャン
↓西区の歴史…黄色の書物173ページよりスキャン
(付記)
江川に由来するその他の町名として、
江川端町…現)城西二・三・四丁目。
江川横町…現)花の木三丁目
江向町
江西町…現)菊井二丁目、名駅二丁目
などがある。
👅旧:西区江川町近辺でデジカメ
👅江川について…ネットより引用
☟江川と市電江川線(大正時代)
その昔、堀川の流れに沿うようにして、江川が流れていた。
江川は西区の稲生町から分流し、中川(中川運河の前身)に注いでいた。
万治三年(一六六〇)の大火の時には、復興用の資材を、志段味の山から切り出し、江川を経由して運搬したという。
今も地名として残る柳橋は、江川に架かっていた橋の名前だ。
江川は大正時代に暗渠となって、下水道の幹線となった。
道路となった江川の上を浄心から柳橋を通り、船方までのんびりと江川線と呼ばれた市電が走っていた。
そして、市電も姿を消して、現在は高速道路が高架の上を走っている。