今朝は昨夜来の雨天、
日課としている早朝散歩は控えていましたが、
7時30分頃には小康状態になり出発。
東区主税町筋にあります
「屋根神様」
東区橦木町筋にあります
「屋根神様取り外しの跡」
をデジカメしてきました…A.M7時55分頃写す
(付記)
「屋根神さま」
1)名称 屋根神様、軒(のき)神様、棟(むね)神様。
2)祭神 熱田神宮、皇太神宮、氏神、津島神社、秋葉神社。
3)祭祀場所 屋根、土庇(どびさし)、軒下、地上、土台。
4)氏子の範囲 組、町内、切、屋敷。
「屋根神さまの信仰」
1)熱田神宮 鎮守(地震除け)、武運長久
2)天王信仰 防疫
津島牛頭天王社(牛頭天王)、津島神社(須左之男命)と明治2年2月7日改称
3)秋葉信仰 防火
秋葉寺、秋葉神社、可睡斎、秋葉山円通寺
4)氏神 安全無事
◎「屋根神様」
主税町筋
↓横から
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◎「屋根神様取り外しの跡」
東区橦木町(種木公園の北・長屋の北端)
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屋根神とは…ネットより引用
昔の面影が残る名古屋の町を歩くと、民家の屋根に設けられた小さな祠(ほこら)を目にすることがある。
この屋根の上の祠は「屋根神様」などと呼ばれ、名古屋市域で多くみられる。
「軒の神様」、単に「神様」などと呼ばれることもあり、場合によっては軒下や台の上などでまつられる。
このような信仰の形は全国的にみても珍しいものである。
昭和50年から51年にかけて屋根神の実態調査を行った芥子川律治氏の研究によると、その分布は千種区2、東区36、北区6、西区129、中村区26、中区9、昭和区4、瑞穂区4、熱田区12、中川区16、市外10と圧倒的に西区が多い。
そして、屋根神のはじまりは明治初期からで、昭和初期に広まったと考えられている(芥子川律治『屋根神さま』)。
屋根神は津島神社、熱田神宮、秋葉神社の三社がまつられることが多い。
屋根神は住居が密集した下町でまつられる。
特に火事の被害は深刻な問題であり、火難除けで有名な秋葉神社がまつられた。
また、疫病を防ぐ天王信仰で有名な津島神社が屋根神の信仰に結びついたのは、人口の多い町では伝染病もまた深刻な問題であったためである。
火難や疫病除けの信仰に熱田神宮の信仰も加わり、屋根神は様々な性格を持つ神様としてまつられたのである。
屋根神がまつられなくなったのは昭和30年代である。
そのころには、屋根神の前でかがり火を焚くことが難しくなっていた。
生活の中で焚きものを使うことも少なくなっており、火難除けの意義も薄れていた。
また、屋根神をまつっていた組は現在の組(以前の隣組)とは範囲や構成の異なる別のものであった。
そのころの新住民は屋根神をまつる旧来の組に入ることは少なくなっていた。
多くの屋根神はこのような生活や地域社会の変化にともなってまつられなくなった。
明治から現在にいたる地域社会の変化とともにあったのである。
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(付記)
「屋根神様」について