東区相生町の町名の由来 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、中日新聞に、読んどく?・難読地名で

東区相生町を取り上げてありました。

↓スキャン

 

我が家から、「相生町」までゆっくり徒歩で15分ほどで行けます。

早朝散歩等でこの辺りも何度も訪ねて(歩いて)います。

↓赤枠が「相生町」

↓私所有の「昭和25年発行・最新名古屋市全図」よりスキャン

↓この辺り昭和55年2月に町名変更

 

手持ちでの資料で、

東区相生町について調べてる…

☟ひがしネット 東区あらかるとより

相生町(aioi)                                                       
    赤塚から平田町・竪代官町筋の西へ一本、南北に走る細長い一画。この通りは多治見・ 瀬戸方面から名古屋城下にはいる街道筋だったので旅人の往来が多く、鍋屋町との角には戦前まで、『善光寺道』の道標が建てられていた。もとこの地には尾張藩の鉄砲練習の射的場があって、鉄砲塚と呼ばれていたが、慶安3年(1650)建中寺の東、東矢場町に移し、その跡に武家屋敷、町屋がつくられたといわれる。明治4年(1871)南隣りの九十軒町の一部と併せて相生町と改称した。二つの町が末永く栄えるようにとの意味がこめられて、このような町名がつけられたといわれている。  

 

(ひがし見聞録より)

相生町は明治期成立の町名。

↓町名の由来…ネットより

鉄砲塚町および九十軒町の二町が合併したことにより成立した当町が、

共に末永く栄えるように願った命名であるという

 

相生町にてデジカメ…2月226日早朝散歩で(A.M6時40分~7時005分頃)

※北から南に向かう途中途中にデジカメ。

  善光寺街道(下街道)の赴きが感じられる…。