成道寺を訪ねる №2…境内は鳥栖城跡…南区鳥栖2-15-22 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(27日)

南区鳥栖2-15-22にあります

芳樹山 成道寺(じょうどうじ)を訪ねました。

  

成道寺について…2回に分けてブログさせて頂いています。

…№2

付記)

№1については、

昨日、

成道寺を訪ねる №1…成道寺石仏(じょうどうじいしぼとけ)…南区鳥栖2-15-22

 

成道寺(じょうどうじ)

宗 派 曹洞宗 

本 尊 釈迦牟尼仏 しゃかむにぶつ

開 山 柏林芳樹大和尚  

本 山 大本山 永平寺 / 大本山 總持寺

 

成道寺(じょうどうじ)について

 

境内は旧鳥栖城跡とされる…(城跡とされるが遺構はなし)

鳥栖城について…ネットより引用

立地  平城

築城時期 応仁の乱(1467)の頃

築城者 成田縫之助時重

主な城主  成田氏

 

・築城は応仁の乱(1467)の頃といわれ、成田縫之助時重によるもので、

・規模は東西約165m、南北約110m。

 

歴史

成田氏は現在の名古屋市南部周辺に勢力を持ち、

同じくこの周辺に勢力を持っていた山口氏に臣従し、寺部城主・山口盛重の娘を妻にする、

 

信長公記によると天文21年(1522)山口氏と織田信長が戦った赤塚合戦では、

山口軍の中に成田弥六、成田助四郎の名前があり、

この2名は当時の鳥栖城主か、もしくは一族ではないかという説がある。

 

廃城は永禄2年(1599)頃といわれ、

成道寺の寺伝によると、江戸中期の安永の頃(17701年代)、

成田氏の子孫で尾張藩士の成田甚右衛門が、尾張藩に碌を返上し、

帰農したといわれていて、廃城後も子孫はこの地に住んでいたと思われる。

 

廃城後、

安永3年(1774年)、城跡に成道寺が建立される。

成道寺の中には、城主であった成田氏夫妻の供養等とされる地蔵石仏がある。

石仏については、

成道寺を訪ねる №1でブログしました。

 

↓境内にあり…記述内容は???

↓成道寺境内…栞より