私「洋ちゃん」、中区内にある
名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。
その一環で、
先日(6日)
「蕉風発祥の地」の名勝標札をデジカメ…№64
設置場所 中区錦3丁目6-15先(名古屋テレビ塔下)
「蕉風」とは,
松尾芭蕉とその門人によって確立された俳句の作風をいう。
蕉風発祥の地について
↓中区史跡散策路より引用
・貞享元年(1684)、芭蕉七部集の第一集「冬の日」がまとめられた のは、
「尾張名古屋の宮町筋、久屋町角西へ入る南側」傘屋久兵衛の借家。
・現在のテレビ塔東北の脚の北あたり。
・このとき芭蕉は「こがらしの身は竹斎に似たる哉」と発句した。
・それを記念して「蕉風発祥の地」の碑が建てられている。
↓資料より
・芭蕉が始めて名古屋に来た時、多くの門人ができたので、しばらくこの地に足をとどめよう
と、ここに借家泊まりした。
・そのとき、詠まれた発句を集めて「冬の日」と名づけた…「冬の日」の五歌仙が巻かれた。
・家主は傘屋久兵衛、また身元引受人は、大和町(現中区丸の内)の備前屋野水(やすい)である。
名勝標札
☟蕉風発祥之地
碑文
★右端の記載
笠は長途の雨にほころび紙衣はとまりとまりの
あらしにもめたり侘つくしたるわび人我さへ
あわれにおぼえけるむかし狂歌の才士此國に
たどりし事を不圖おもひ出で申侍る
★句の部分
狂句 こがらしの 身は竹斎に 似たる哉 芭蕉
たそやとばしる 笠の山茶花(さざんか) 野水
有明の主水に酒屋つくらせて 荷兮
かしらの露をふるふあかむま 重五
朝鮮のほそりすゝきのにほひなき 杜國
日のちりぢりに野に米を刈る 正平
☟
碑文
芭蕉は野ざらし紀行の途上 貞享元年(1684) の冬 名古屋に立ち寄り 土地の青年俳人を連 衆として 「冬の日」の巻々を興行した。
この巻々こそ遊びの俳諧より脱皮した芭蕉が 始めて芸術としての俳諧を樹立した記念塔なのである その場所を「宮町通久屋町西へ入ル南 側傘屋久兵衛借宅」と「家並増減帳」は指摘して いる 現状に当てはめて見ると このあたり(テ レビ塔東北の脚の前面)と推定される
今ここに文学碑「蕉風発祥之地」を建立し 碑 面に巻頭歌仙木枯の巻の表六句を刻する所以は 俳文学史上無二の俳蹟を顕彰すると共に 郷土 先人の業績を永遠に伝えんが為に外ならない
(市橋 鐸 謹誌)
昭和四十五年十二月
蕉風発祥之地建碑委員会
☟名古屋三俳人句碑
(特記)