「那古野城跡」の名勝標札…中区二の丸1(№60) | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

私「洋ちゃん」、中区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

 

一昨日(4日)

「那古野城跡名勝標札をデジカメ

設置場所 中区二の丸1

↓ 名勝標札

 

那古野城について…ネットより引用

🔶中世の那古野城を直接に偲ばせる遺構はほとんど存在しない

・戦国時代に尾張国愛知郡那古野(現、名古屋市中区)にあった城。

・今川氏親(今川義元の父)築城。

・16世紀前半に30年ほど存続した後に廃城となるが、

 旧城地は廃城から半世紀ほど後に再び城地に取り立てられ名古屋城になった。

 

・大永年間に今川氏親が尾張進出の拠点として、

 現在の名古屋市中心部が広がる熱田台地(名古屋台地)の西北端に築城した「柳ノ丸」を起源とする。

・今川氏の時代、この城の城主は氏親の一族で一説には那古野氏の家督を継いだいわれている、

 今川氏豊とも伝えられている。

 

1532年勝幡城の織田信秀が計略により今川氏豊を追放して城を奪い拠点を置いたとされる。

那古野城という城名はこのとき付けられたとの説がある。

 

↓下の文献よりスキャン