私「洋ちゃん」、中区内にある、
名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。
その一環で、
先日、中区丸の内地内にある、
「尾上梅幸出生地」「柳河春三出生地」「西川鯉三郎免許の跡」
と書かれた名古屋市教育委員会設置の名勝標札をデジカメ。
六代目 尾上梅幸について…ネットより引用
・1870年(明治3年) ~ 1934年(昭和9年)
・歌舞伎役者。屋号は音羽屋、定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。
・本名は寺島 榮之助(てらしま えいのすけ)。
・昭和初期を代表する名女形の一人で、女形役者として、十五代目市村羽左衛門の相方として数々の絶妙な芸を残した。
・名古屋に生れる。
・父は三代目尾上菊五郎の孫・尾上朝次郎だというが、
五代尾上菊五郎と名古屋の茶屋・信濃屋の芸妓・貞の子で、六代目尾上菊五郎の異母兄とする説もある。
中区丸の内二丁目12-26((丸の内セントラルビル前)
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柳河春三について…ネットより引用
幕末の洋楽者。
日本における新聞・雑誌の創始者。名古屋の人。柳川とも書く。
蘭学・英学・フランス学に通じ,蕃書調所を経て開成所に出仕。
1868年頭取となった。維新後も引き続き開成学校に出仕,1869年大学小博士。
1867年《西洋雑誌》,1868年《中外新聞》を創刊。
日本近代の新聞・雑誌創成期に大きな足跡を残した
中区丸の内2-7-3
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西川鯉三郎について…ネットより引用
名古屋西川流の名跡のひとつである。
4代西川扇蔵の門弟であった西川仁蔵が名古屋へ移った際、西川鯉三郎を名乗ったことに由来する。
(付記)
西川流は、日本舞踏における流派のひとつ。日本舞踊における五大流派の一に数えられる。
中区丸の内3-16-3