大島為足(おおしまためたり)の短冊2枚…古典短歌(尾張人)№30-2 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」

若い頃から、古典短歌にも興味があり収集に努めてきました。


しかし、私はもう73歳にもなりそろそろ整理しておく必要があると感じつつあります。


ボツボツと整理をしながら古典短歌シリーズとして紹介させて頂きます。

今は、尾張関連の歌人を取り上げています。


※すでに紹介済(ブログ済)の作品もありますがよろしくお願いします。

(官庁の資料館・大学等への寄贈を望んでいます。ご連絡お待ちしております)

 

今回は、先回に続き、

歌人、尾張藩士、明治期い熱田神宮権禰宜を務めた、
大島為足の短冊2枚を紹介させて頂きます古典短歌(尾張人)№30-2

(注)詠みは誤読しているかもしれません。  

   正しい詠みを教えてください。

   よろしくお願いします。

詠み

新年雪」

立かへる ことしのそらに ふるゆきの きよき御代にも あひにけるかな

    
「野月」

大わしの とふ影みえて 信濃なる すかのあらのの 月もの凄し

    

大島為足について…ネットより引用 

・歌人、尾張藩士。幼名は富次郎代々尾張藩士。

・冷泉為紀に歌の古式を習い、

 また植松茂岳に従い国典を、歌学を本多俊民、後に間島冬道に学んだ。

・廃藩後、熱田神宮権禰宜を務め明治10年(1877)に東照宮の祠官となり、

 のちに新宮教愛知本部長に就任。

・和歌をよくし、連歌の詠会など歌道の興隆に尽力した。

・尾張における優れた歌人であり、国学者であった。

・大正4年(1915)歿、65才。

★屋敷は泉一丁目(旧表示 冨士塚町一丁目)にありました。