鳴海城(根古屋城)址に行く:東福院の山門…鳴海城の廃材を使用 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(22日)

緑区鳴海町にある、

桶狭間合戦時に今川方の岡部元信が守ったお城として知られる、

鳴海城(根古屋城)址を訪ねました。

(現在、私「洋ちゃん」が楽しんでいる古城巡りの一環で訪ねました)

 

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 ※鳴海城は周囲より高い位置にあり。

  近くを流れる扇川を天然の堀としており堅固さが伺える。

 

鳴海城(根古屋城)について

↓ 名古屋市緑区史跡散策路より引用

応永年間(1394~1427)安原宗範の居城。

永禄年間(1558~1569)に今川の将岡部五郎衛門元信がこの城を守り、桶狭間合戦の際勇名を轟かせた。

その後信長の臣佐久間信盛、正勝が居城し、天正末期に廃城となった。


↓ 名古屋市教育委員会設置の名勝標札

↓ 資料より

 ↓ ネットより

・築城は、

 室町時代3代将軍義満の(室町前期)応永元年(1394年)安原備中守宗範による。

・織田方のお城で織田信秀(信長の父)が、

 地理的にも三河との国境に近いこの地を重要視し山口義継(教継)という豪傑を守将とし

 て入れ鳴海城を守らせていた。
 

・しかし信秀死後、

 家督を継いだ信長は『うつけ』の評判が高く、山口氏の裏切りで今川方に渡り、今川方に

 とって尾張への攻撃の最前線の城となる

 

・永禄年間(1558~1569)に今川方の将岡部五郎衛門元信がこの城を守り、桶狭間合戦の

 際勇名を轟かせた。

・この岡部元信は、

 義元が討たれた後も鳴海城から引かず、結局主君・義元の首と引き換えに鳴海城を明け

 渡す事で交渉が成立。
・その後信長の臣佐久間信盛、正勝が居城し天正末期に廃城となった。

 

デジカメ

 天神社境内にある「史蹟 鳴海城跡」の石碑

 (天神社は城跡公園の道路の反対側にあり)

↓ 鳴海城跡公園にて

   

(付記)

↓城跡公園に向かう途中にあるコミュニティセンター

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東福院…城跡公園の北にあるお寺

山門には、かつての鳴海城の廃材が使用されています。

(資料をスキャン)

 

(12,054歩)