先日(15日)緑区大高町にあります、
桶狭間合戦のキッカケになったお城大高城跡に行く。
(私「洋ちゃん」が楽しんでいる古城巡りの一環で訪ねました)
大高城について
↓ 名古屋市緑区史跡散策路より引用
・築城年代は不詳。
・永正年間(1504から1520)の頃は花井備中守が、天文・弘治の頃には水野忠氏父子居城した。
・桶狭間合戦のときには、今川の支配下にあり、松平元康(徳川家康)の兵糧入れは有名である。
・合戦後元康は三河に帰り、廃城となった。
・その後、元和2年(1616)志水忠宗が三の丸に宅を設けたが明治3年(1870)に廃した。
・(昭和13年国指定文化財)
↓ 資料より
大高城の築城は永正年間(1504~1521)に、花井備中守によって築かれたといわれ、天文・弘治年間(1532~1558)の頃は、知多半島に勢力を持っていた水野氏が今川方として居城していたが、その後、織田方に転じる。
永禄二年(1559)の頃、鳴海城の山口左馬介教継が今川方に寝返り、大高城、沓掛城を攻略する。
その後、大高城は今川方の武将である鵜殿長助らが入城したが、これに対し織田方は、近隣にの砦をを築き、大高城を鳴海城をはじめとする周辺の今川勢力から遮断してしまう…いわゆる兵糧攻め。
↓ 名古屋市教育委員会設置の名勝標札
デジカメ
↓ 本丸一帯
↓ 鷲津砦・丸根砦方面を望む
↓ いわれ…???
↓ 本丸にある城山八幡社…右側に大高城址碑があり
↓二の丸から三の丸へ…下の新聞記事・写真参照
↓ 上記写真の下の茂み…横掘
(付記)
2013年1月10日にも、
タイトル「大高城跡を訪ねる 」としてブログしました。
(12,665歩)