井上士朗(大光寺)…東区泉2-5-12(名古屋市教育委員会設置の標札巡り…東区№25) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、

名古屋市教育委員会設置の標札巡りをしています…東区№25

その一環として、

 

先日13日)東区泉二丁目-5-12、

大光寺の門前に設置の「井上士朗宅跡」の標札をデジカメ

(付記)

私「洋ちゃん」、

井上士朗の作品を若い頃から収集しブログで紹介しています。

*私のブログ(洋ちゃんのひとりごと)

  テーマ「井上士朗の関係 ( 44 ) 」をご覧下さい。

井上士朗について
井上士朗の俳句(冬の夜は~~~)

↓ 追記




大光寺・井上士朗宅跡について

 ↓ 東区史跡散策路等より引用

・日蓮宗で清洲越えの慶長15年(1610年)に当地に移ったお寺です。
・明治4年名古屋藩庁の布告により小学校に充てられる。

・寺域に隣接し、俳人井上士朗が住み境内に士朗の句碑が建つ。

士朗は守山の生まれ本来は医者で専庵といい伯父の家である大光寺の南に

 居住していた。

 ↓ ひがし見聞録

デジカメ

↓ 庫裏


↓ 境内にある句碑

句碑の詠み…山里の 月夜を運べ 庭の松

私はもう出て行く気力がない庭の松よ山里の月夜をここに運んで来ておくれ

(士朗は文化9年(1812年)71歳で歿す)

句の意味

士朗は年老いて中風の病気にかかり、晩年は6年間このために苦しんだ。

妻は歿し、落ち込んでいた。

文化7年(1810年)知人が気晴らしに月見に行こうと誘ったとき読んだ句。
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↓ 本堂…インドの仏塔風の様式

 昭和20年3月、B29による空襲で本堂、山門すべてを焼失、

 その後昭和40年本堂が再建。

image1 (010)大光寺本堂

 

 

(20,111歩)