「尾上梅幸出生地」の名勝標札…中区丸の内2-12-26:「新守座」(№4) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(3月24日)、

中区丸の内二丁目12-26((丸の内セントラルビル前)に建つ、

名古屋市教育委員会設置

「尾上梅幸出生地」の標札をデジカメ。


    地図の説明

       

 

六代目 尾上梅幸(ばいこう)について調べる…ネットより引用

 ・1870年(明治3年) ~ 1934年(昭和9年)

 ・歌舞伎役者。屋号は音羽屋、定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。

 ・本名は寺島 榮之助(てらしま えいのすけ)。

 ・昭和初期を代表する名女形の一人で、女形役者として、十五代目市村羽左衛門の相方

  として数々の絶妙な芸を残した

 ・名古屋に生れる。

 ・父は三代目尾上菊五郎の孫・尾上朝次郎だというが、

 五代尾上菊五郎

  と

 名古屋の茶屋・信濃屋の芸妓・貞の子で、六代目尾上菊五郎の異母兄とする説もある。

 

(付記)

名勝標札に記載ある、

  「名古屋新守座」が➡「名古屋劇場」➡「中京劇場」

 と名称変更した流れについて

    ↓

上記標札の赤線四角で囲った「名古屋新守座」は、

明治6年に新守座として開場した総瓦葺きの芝居小屋として本重町に開場し、1934年(昭和9年)に名古屋劇場と改名、

さらに、

1935年(昭和10年)9月に中京劇場と改名し松竹映画封切館として開館するも、

1957年(昭和32年)に閉館。


昭和11年頃の広小路です…赤矢印が中京劇場(旧、名古屋新守座
 

(付記)

昭和9年7月7日初日、名古屋劇場で開演された、

「東京大歌舞伎中村吉右衛門壱座」のポスターです私の収集品
  ※薄手のざらばん紙に印刷。  

皺が多くシミもあり、消耗も大きいですが大切に仕舞っています。
白黒で、画風に趣きが深く感じられます。 

拡大しました
 
 
(18,263歩)