基幹バス;清水口→白壁→赤塚→山口町→新出来→古出来バス停の由来について | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

先日(9月24日)、

早朝散歩で

基幹バスレーン;清水口→白壁→赤塚→山口町→新出来→古出来(東区分)

までのバス停をデジカメし、

帰宅後、停留所の由来(町名の由来)について調べました。

                         (文献 ひがしネット)

※私「洋ちゃん」基幹バスを、度々、敬老パスを持ち利用しています。


◎清水口
 

志水坂の坂口に井戸があったことから清水町という町名がつけられた。

明治11年(1878)に志水町に、名古屋村の内志水町を併せて清水町ができた。

 

◎白壁
 

慶長遷府に際して、豊田某という武士がこの地に居を構え、

高塀をはじめて白壁として以来、武家の住宅地として堂々たる

白壁の塀が建ち並んで、自然にだれいうとなく白壁町の名称が生まれた。

 


◎赤塚(白壁
 

昔この辺りに赤土の大きな塚があり、鉄砲の射的場となっていたが、

寛文3年 (1664)ごろ町屋を作って以来赤塚町名前がつけられた。

 

◎山口町
 
慶長築城の際、今の名古屋は那古野と呼ばれる土地であり、樹木が茂り、

山あり谷あり、坂も急な地域であった。

この那古野山の東部の入口付近一帯はこのことから山口と総称されていた。

 

(徳川園)新出来

・二代藩主光友が名古屋城の東、大曽根村の見晴しのいい場所に別荘を建て、

 大曽根御殿といった。

・光友死後元禄15年(1702)に家老成瀬隼人正にさげ渡され、屋敷あとの一部

 に直参の武士の屋敷や町屋ができてきた。

・その東にむかしからできた町があったので、こちらには新の一字をつけて

 新出来町といったといわれる。

 

◎古新出来町
 

・上野村に属していたころの古出来町は、古町屋と呼ばれていた。

・それほど古くから開けていたわけでなく、寛永年間(1661~72)から家が建ち始め、

 出来町と改めたが、元禄年間(1688~1703)豆畑をつぶして町屋にかわり、

 西隣りの新出来町に対して「古」をつけて古出来町といった。


(付記)

9月24日は、ナゴヤドームでの今季、ドラゴンズ最終戦が行われた日です。

ドラ・プリズムに立ち寄りデジカメ

※ まだ、人出なし

 

 

 

(10,279歩)