小田切春江筆の画「月下公卿衆秋景の図」 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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今朝は、台風一過で快晴…。

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心地よく散歩を終えてきました。


帰宅後、朝刊の折り込みチラシの中から、

今年の中秋の名月は遅めで「十月四日」記載されたチラシを見つける。


早速、「お月さま」が描かれている、

小田切春江筆の画「月下公卿衆秋景の図/絹本」を床の間に飾りました。

                                           (私の収集品です)

小田切春江は

 江戸末期~明治初期にかけての書画家で、

  岡田啓とともに尾張の民族・名勝風景「尾張名所図会」を描いた著名な画人です。

小田切春江筆として作品の「真贋」については???ですが、

図柄が私好みのため大切に仕舞っています…。
        左)落款
図の部分を拡大 ↓

・月明りのもと、河原に生い茂っいるススキの中で松明(たいまつ)を片手に何を探しているの

 かな???。

・秋虫かな…それとも何だろう~~?
 

(追記)

2015年6月24日にタイトル「小田切春江の画「宇治川先陣」の図」としてブログしました。

その内容を下記にコピーしました。

           記

小田切春江の画「宇治川先陣」の図を飾る。
 



肉筆で、
絹本、

  共箱です。
 



宇治川の戦い、

・平安時代末期の寿永3年(1184年)1月に木曽(源)義仲と鎌倉の源頼朝から派遣された

 源範頼、源義経とで戦われた合戦。

・都の治安を乱す木曽義仲を追討すべしと、鎌倉の頼朝に後白河法皇より院宣が下りる。

・頼朝は、弟の義経を大将とする討伐軍を京都へ発向させる。


宇治川先陣争い

・義経軍は矢が降り注ぐ中を宇治川に乗り入れる。

佐々木高綱梶原景季の「宇治川の先陣争い」はこの時の故事である。

・2頭の馬に騎乗して登場した佐々木高綱梶原景季

 佐々木高綱の名馬は生唼いけずき)、

 梶原源太景季の名馬は磨墨(するすみ)

 という名のいずれも劣らぬ名馬でした

・お互いに、先陣の名乗りを挙げようと心に秘めています。

・まずは梶原景季が前へ踏み出しました。
 その時に佐々木高綱「馬の腹帯が緩んでいる」梶原景季
に声をかける。
梶原景季
は、その言葉を鵜呑みにし腹帯を締め直す事に。

・その隙をついて、佐々木高綱は先に宇治川に馬とともに飛び込みました。
 謀られた!!と思っても後の祭りです。
・結局、佐々木高綱が対岸へ先に渡りきり、先陣の名乗りを挙げる事になる。


※先陣争いは佐々木四郎高綱と名馬生食(いけづき)が勝利。


小田切春江の略史です。



(12,752歩)