先ほど、早朝の散歩を終え、床の間に、
明治~大正~昭和初期の尾張の画人
森村宜稲筆「武士薙刀(なぎなた)」図、
加部琴堂の讃の掛軸を飾りました…久しぶりに飾る。
皺、折れが目立ちますが、
私「洋ちゃん」好みの、やまと絵で大切に保管しています。
能「鉢木(はちのき)」の一曲、
やせ馬なれば、うてどもあふれども…の図柄です。
賛の詠み…よれに よれたる
痩馬(そうば)なれは
能「鉢木」は、
鎌倉幕府五代執権北条時頼の廻国伝説に託して、武士の意地を描いたものです。
★「鉢木」について簡略
身分を隠し一所不在の僧侶(北条時頼)が、ある大雪の夕暮れ、信濃国から鎌倉への帰途、外れにあるあばら家に、一夜の宿を求める。
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今はすべてを失った身の上だが、あのように鎧と薙刀と馬だけは残してあり、
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一旦鎌倉より召集があれば、馬に鞭打っていち早く鎌倉に駆け付け、命がけで戦うと決意を語る。
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痩せたりともあの馬に乗り。一番に馳せ參るべき由申しつる。
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「よれによれたる痩馬なれば」打てどもあふれども、先へは進まぬ足弱車の、乗り力なければ追ひかけたり。
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加部琴堂の略歴
・(1829(文政12)~1894(明治27))66歳。
・幕末~明治時代の豪商、
俳人。名は嘉重。
・上野国(今の群馬県)の出身。
・安政5年、横浜開港に際し、横浜に出店し生糸・麻などをあきなう。
・句集に「穂長集」。
・明治4年(1871)~昭和13年(1938)
・尾張藩儒者森村宜民の家に生。
・始め木村雲渓に四条派を学び、のち日比野白圭・木村金秋に師事して大和絵を学ぶ。
・稲香画塾を主宰し多くの画家を育成する。
・古典絵画研究にも熱心で、田中訥言にはじまる復古大和絵を世に紹介する。
・郷土の美術振興にも尽くした。
(15,918歩)