「ういろう」の由緒(伝来);名古屋名物「ういろう」について | 「洋ちゃん」のひとりごと

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「ういろう」の由緒(伝来)

名古屋名物「ういろう」についてです。


私「洋ちゃん」、

近年になって甘味の食べ物を好むようになりつつあります。

★若いころは甘味は超苦手でした。
       

昨日、ある書物を読んでいましたら

『ういろう』

について記載あり…興味を感じブログする。

★福岡市博多区にある妙樂寺には「ういろう伝来の地」と刻まれた石碑がある。

  
「ういろう」の由来について、

・日本の室町時代、

 中国の元王朝で礼部員外郎(れいぶいんういろうという官職に就いていた

 医者の陳(ちん)宗敬氏が元滅亡後に帰化し妙樂寺を頼って来日し陳氏が調整したである。

 ※外を「うい」とよむのは唐音。

・陳氏が調整した薬である「透頂香(とうちんこう)」が将軍足利義満に賛美され、

 その薬とともに出した菓子を祖先の官職名にちなみ『ういろう』と名付けた。


・この後、京都にいた陳氏は小田原に移り住み、

 薬の外郎(陳氏の官職名「外郎」より採って、薬も「ういろう」と呼ばれた)を販売。

 

※名古屋の「ういろう」の歴史。

・尾張徳川家第二代藩主・徳川光友に仕えた陳元贇が製法を伝え、

 万治2年(1659)に創業した「餅文総本店」が販売を始めたと伝えられている。

※餅文総本店の「献上外郎(ういろ)」は尾張藩主の絶賛を受け…、    

・その後、

 明治12年(1879)に青柳総本家…「♪ぽぽぽいのぽい~~」

 昭和24年(1849)に大須ういろ…「♪ぼーん、ぼーん、ぼーんと時計がみっつ」

が創業

・「ういろう」が名古屋名物となったいわれについて、

 ういろうは、米粉と砂糖を原材料に作られる繊細なお菓子で、

 古くは「朝生(なま)」と呼ばれ日持ちがしないが、

 「大須ういろ」がアルミ箔で包み、蒸気で再度蒸す方法を見い出す。

 その後も改良を重ねて、保存出来るようになった。

      

青柳総本家の三代目の後藤為彦は、ういろうの販売拡大を目指し、

 名古屋駅構内等で立ち売りを始めていた。

 …これが、名古屋を代表する土産物(名古屋名物)として定着しつつなる。

      
まとめ

餅文総本店が名古屋ういろうの元祖であり、

 大須ういろが日持ちする包装方法を見つけ、

  青柳総本家が地道に宣伝した。

 

三つの銘菓店が異なる役割を果たし、

「ういろう」が名古屋名物として定着する。

 

(22,919歩)