先日(1月25日)中川区下之一色町正色小学校の辺りにあったとされる、
「下之一色城」址を訪ねました。
(私「洋ちゃん」が楽しんでいる古城巡りの一環で訪ねました)
・所在地 中川区下之一色町、正色小学校辺り…庄内川下流の東岸。
・立地 平城
・年代 室町中期か戦国期(天正年間(1573~92))
・築城者 前田与十郎種利
・主な城主 前田種利、種定
・遺構 城址碑のみ
★下之一色城は、この地の土豪・前田与十郎種利の居城。
その子・長種・定利とともに居城し、蟹江城主・佐久間正勝に属していた。
『現 況』
・明和5年(1768)の出水で河川敷が変わってしまい、場所も、規模も不明になる。
現在の正色小学校辺りが城址とされる。
『略 史』
・前田氏の始祖仲利の子種利が、
戦国の始め(文明の頃)に前田村から分かれて、この地に下之一色城を築き移り住む。
・天正12年(1584年)小牧・長久手の戦い際、下之一色城は、
最初は織田信雄に属しており、長島と清洲間の連絡役を務めていたが、滝川一益の説得
で豊臣秀吉方へ寝返った。
・合戦が済むと下之一色城は、徳川家康によって蟹江城とともに徹底的に破壊され
前田種利は斬殺された。
・そのため徳川、織田軍に攻められて廃城した。
(付記)
その後、前田長種は前田利家の娘婿となり、前田利常の後見役を務めた。
※前田長種…前田種利の子の長種は善戦したが及ばず降伏、城を捨てて加賀の前田家を頼って下之一色城を去る。