今日、
中区大須二丁目にあります
「那古野山公園(旧名:浪越公園)」を訪ねました。
江戸時代に禅寺・清寿院があったが、明治時代になって廃寺となりその跡地は、愛知県下で始めての公園として開放された。
当初は浪越公園と命名されたが、廃止され、現在では那古野山公園と変更されている。
「大須古墳群」の内の一つで5世紀中~後半に造営されたと考えられている。
元は前方後円墳であったが、江戸時代に修験道の禅寺・清寿院の後園が造営される際に、前方部は取り壊されその後園を浪越山と呼ばれた。
後円部とされる部分のみ直径22m、高さ3mが残る。
明治5年(1872年)に清寿院は廃され、
明治12年(1879年)に愛知県下初の公園(浪越公園)として市民に開放される。
明治43年(1905年)に鶴舞公園が開園すると浪越公園は廃止されたが、大正3年(1910年)に規模を大幅に縮小して名古屋市設置の那古野山公園として再び公園化。
1991年、1995年には発掘調査が行われ、
これによって出土した遺物は名古屋市博物館に収蔵されています。
園内にある案内板をデジカメ
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尾張名所図会 清寿院原本
那古野山古墳(前方後円墳)の場所に修験道の寺院であった清寿院が建っていた。
明治維新を迎え清寿院は廃寺となり、その後市内で最初の浪越公園なった。明治四十二年(1909)鶴舞公園ができるまで市民に親しまれていた。