私「洋ちゃん」は史跡巡りに関心があります。
私の収集本、
西区100年のあゆみ(平成20年4月26日・西区役所発行)に
「稲生街道」
について、次のように記載あり。
稲生街道筋は何度も訪ねていて馴染みのある所も多々あります。
「稲生街道」について、
稲生街道ができた時期ははっきりしないが、
名古屋城築城以前から熱田神宮へ通じる通ができており熱田街道とも呼ばれていた。
名古屋城築城時に道を広くして直され街道として形が整った。
経路は幅下から浄心寺を北に向かい、
惣兵衛川に架けられた地蔵橋で一度右に曲がり,安性寺の西を通って矢田川の堤防に出る。
矢田川は歩いて渡り、庄内川は渡し舟で渡った。
大野木に出た後は,上小田井を通って岩倉街道と合流し丹羽郡の古知野に至っていた。
現在の県道名古屋江南線がほぼこの道筋にあたる。
庄内川の渡し舟は,稲生の渡しと呼ばれた。
近隣の村に6隻の渡し舟が用意され、一人2文の渡し賃を取って通行人を渡していた。
しかし、
この渡し舟も、増水時には出ないことが多く、旅人に不便を与えていたようである。
渡し舟が6隻もあったことから、稲生街道を通る人馬の数も相当多かったと思われる。
明治の中頃でも、稲生堤から名古屋城の辺りまで一望できたようで、
枇杷島市場などで栄えた美濃路ほどのにぎわいはなかったようである。
稲生街道の歴史を知り得て嬉しいです。
美濃路の江川交差点で北に向かっている。
矢田・庄内川を渡って大野木へ。
小田井で岩倉街道に合流。
北から南にSの字にカーブしている道が熱田につながった道と推定される。
稲生街道
→稲生街道(熱田街道)~尾張の北部や美濃からの宮参りの道でもあり。
(参考文献)
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