一昨日、
尾張名所図会に描かれている「山吹台」付近を散策してきました。
図より、
谷は南北につらなり、
谷の西側は丘陵、
東側は坂をつくり、
谷には清水が流れ、
雑木の間に山吹の花があり。
当時は、名古屋の名所であり、行楽の地であった。
尾張名所図会です
山吹谷、
現在の東区清水口の東方面、中産連ビルから、南へ東片端通り飯田町あたりまでの
間の地名でした。
このあたりは「鳥屋筋」といい(別名「坂下筋」ともいった)、
鳥屋筋の東側には谷があり、そのあたりを名古屋開府以後、山吹谷と呼ばれていた。
時代の経過とともに、
この名称は消え、地形も変わり、町の様相も変わった。
左の青太線あたりが鳥屋筋です
勝景、山吹谷の地も、
このあたり武家屋敷となり、谷は埋まり、町筋ができて、
現在は、
坂が僅かに残り、ほんの一部「山吹谷公園」「山吹小学校」あたりにその面影が残る。
上記、写真の一番右の家・玄関にある貼紙
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(付記)
以前、
沼田朴斎筆 着色「山吹谷」の書軸を収集していました。
※2年前に某博物館に寄贈
軸の全景です。
人物の部分です。 歌の部分です。
表の箱書です(沼田朴斎着色山吹台図)
(石河)有麟の書付です。