井上士朗の消息(句の詠みもあり)《士朗その27》 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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井上士朗の消息(手紙)を詠みました。

井上士朗は江戸時代中~後期頃、

「尾張名古屋は士朗(城)で持つ」と言われた著名な俳人です。

 

私「洋ちゃん」は士朗が大好きで以前から句の収集を楽しんでいます。

 相当以前に入手し、マクリ(表装しないでおいてある書)で丸めて保管しています。

 

一昨日(20日)は大寒、そろそろ梅も開花する時期です。

昨日この書を出してきました。

私の詠みですからかなり誤読があると思いますが紹介させて頂きます。

※誤読していましたら是非、お教えください。お願いします。

 

橘田春湖に宛てた消息と思われます…???

 ☆楠田春湖は江戸後期-明治時代の俳人。
  幕末にはの江戸三大家と称され,明治政府の俳諧の教導職につきました。

 梅さくら 散(前?)こみぬみな いせの海

 

さくはいせのうみ ともなづ(名津)くへ(べ)きか

   春湖のもとめ  に応じして書

                朱樹   士朗

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○橘田春湖
1815-1886 江戸後期-明治時代の俳人。
文化12年生まれ。辻嵐外(らんがい),巨谷禾木(こたに-かぼく)にまなぶ。関為山(いざん),鳥越等栽(とうさい)とともに幕末の江戸三大家と称され,明治政府の俳諧(はいかい)教導職についた。明治19年2月11日死去。72歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。名は茂実。通称は幸蔵。別号に一笑,小築庵など。編著に「雲鳥日記」「俳諧発句集」など。


井上士朗について
(私の手持ちの資料をスキャン)


 

東区泉二丁目、大光寺の門前、左にある名古屋市教育委員会の名勝標札