清須城 別名・清洲城、斯波武衛城 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日

「清洲城」を訪ねました。

織田信長が尾張の拠点とした有名なお城です。

(現在、私「洋ちゃん」が楽しんでいる古城巡りの一環で訪ねました) 

☆歴史のあるお城です…少し詳しく略史を書きました。

注:

是非、

2012年12月30日にブログしたタイトル岩倉城  と合わせてご覧ください。

 

現況は、

城址は整備された清洲城跡公園の一角に模擬されたお城が建っています。

※現在の名古屋城の西北隅櫓は、

「清洲櫓」と呼ばれており名古屋城築城の際、清洲城の小天守を移築したものとの由。


略史は、お城の始まりは、織田氏の築城ではありません)

応永12年(1405年)室町幕府の尾張守護職・斯波義重が下津城(現 稲沢市)の別郭として築城。

文明8年(1476年)下津城が焼かれ護所は清須城に移る。


守護家の家督争いが生じ、斯波氏の家臣の織田氏の勢力が強くなり、主家である斯波氏の支配力は弱まり織田氏が圧倒するようになる。

ここから尾張の織田氏時代が始まり斯波一族の子らは後年、信長・信雄・秀吉らに仕えて活躍。

 

弘治元年(1555)信長が家督を継ぎ、尾張の下四郡丹羽・葉栗・中島・春日井)の支配者として このお城に入城。

4年後の永禄2年(1559)には、上四郡を支配していた岩倉織田氏を滅ぼし、ほぼ尾張統一を成し遂げる。


信長は、ここを足場に織田一族を鎮圧し、天下布武への野望に燃え城郭を拡大し商工業を保護し城下町を発展させる

 

永禄3年(1560)の桶狭間の合戦もこのお城から出陣。

信長の美濃攻略により永禄6年(1562)に小牧山城に移り、清須城は空域に。

その後、本能寺の変の後、織田家による「清須会議」で、信長の二男信雄が清須城主になり本格的な城郭としての整備を行う。

 

信雄が失脚後、豊臣秀次・福島正則・家康の息子・松平忠吉、尾張初代藩主の徳川義直がめまぐるしく入城。

 

お城はいつも洪水、水攻めの心配もあり慶長15年(1610年)ころから名古屋へ『清洲越し』。

清須は荒れ果て、城も町も寂れてしい田畑ばかりの土地に。
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清須城です

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清須城の西隣にある清須古城跡にて
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尾張名所図会・後編巻之三