川名北城・川名南城 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

昭和区川原神社の近くにあったと言われる城址、

「川名北城」

川名南城」を訪ねました。

(現在、私「洋ちゃん」が楽しんでいる古城巡りの一環で訪ねました)


昔、

川名には二つのお城があったと「愛知郡史」等に記載あり。

二つとも佐久間氏のお城で、

 ・川名北城の城主は、佐久間半左衛門で

 ・川名南城の城主は、佐久間彦五郎といわれている。

※織田家でも重要な地位を占めていた、佐久間氏の居城があったところです。
 佐久間氏はこの周辺に、承久の乱の頃(1221年頃)に住み着いた豪族です。

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「川名北城」について

現況

城址は「川原神社」の東側一帯といわれています。

略史

城主は、佐久間半左衛門。

城はやや高みにあり、東西約58m、南北約65m程で、北は飯田街道が通り、東側が山崎川 に接する崖になっていたという。

さらに、周りには簡単な堀があったという。

川名北城は天正12年(1584年)の小牧・長久手戦の兵火で焼け落ちたと伝えられている。

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「川名南城」について
現況

城址は、川名北城の少し南に位置する、現在の昭和警察署の西半分から、隣の民家までという。

明治初期までは、周囲は竹やぶで堀の跡も残っていたと伝わりますが、現在ではその遺構は何もなし。

略史

城主は、佐久間彦五郎。

城はやや高みの地にあり、規模は東西約63m、南北約54m程で、周囲は塀を廻らせていた。

城は天正12年(1584年)の小牧・長久手戦の兵火で川名北城とともに焼け落ちたと伝えられる。
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左)
川原神社です。