龍泉寺城を訪ねる | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、守山区にあります「龍泉寺城」を訪ねました。

※龍泉寺については今年1月9日にブログしました。


龍泉寺城について、

弘治2年(1556年)織田信行が、

 岩倉城主織田伊勢守信安と図って兄、織田信長を討とうとして築城した。

龍泉寺は八世紀末頃から在り、よって寺のあるところに城が造られた。


・織田信行が稲生ヶ原合戦で兄、信長に苦杯を喫し廃城になる。


・その後 天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際、

  家康は、長久手の戦場を引き上げて近くの小幡城で兵を休めていた。

・長久手での大敗を知った秀吉が龍泉寺城に急遽、大軍を入れ布陣をする。


・秀吉はこの城に留まり、防御に備え一夜のうちに堀を掘り

  翌日家康と決戦すべく、小幡城へ忍びのものを使わしましたが、

   家康は秀吉との決戦を避すぐに小牧山本陣へ引き上げていしまう。


なぜか、秀吉は家康の策略を警戒し、兵を退避させてしまう。


・この時、秀吉と家康が雌雄を決する戦いをしていれば、その後の日本の歴史

 は変わっていたのでは???。

・この後、両雄は二度と戦場で相まみえることはなし。


☆龍泉寺城は短命の城であった。



(付記)

・昨年11月7日にブログしましたタイトル「名塚城(砦)と庚申塚(稲生ヶ原合戦の古戦場)」で三男

 信行(信長の弟)と信長との争いについて書きました。

・小幡城については昨年12月17日にブログしました。

・昨年12月31日にブログしましたタイトル「末森城跡(別名 末盛城跡)」、

 昨年12月30日にブログしましたタイトル「岩倉城」も参照してください。



洋ちゃんのひとりごとです

・高年大学のクラスの学友の話を聞き、また図書館で「尾張の古城」の本を見 

 てから興味がわき、

    古城巡りを楽しんでいる私「洋ちゃん」です。

最近、特に歴史書ではあまり取り上げられていない古城間の歴史的繋がりが

 分かりかけてきました。

・古城巡りが少し、病み付きになりつつあります。


「洋ちゃん」のひとりごと


龍泉寺本堂の後ろにある二層の龍泉寺城です。

かってここにあった織田氏の砦を出来るだけ忠実に再現いているそうです。




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左)秀吉の一夜堀の空堀が、

「豊公一夜堀」の石碑が竹藪の中に残っています。

危険なため一般人の立ち入りは禁止になっています。

「尾張の古城」の本67ページをスキャンしました。

実は私「洋ちゃん」は相当以前にこの石碑を見ています。

いつ設けられたかは???です。