一昨日(30日)
東海中学校・高校での催し
‘サタデープログラム”でオリンピック、
東海中学生2年生3人の司会によるトーク形式で催されました。
その要旨のブログです。
小椋久美子さんの略歴
・1983年(昭和58年)三重県で生まれる。
・2002年(平成14年)三洋電機へ入社。
・その後、北京オリンピックや世界選手権などの国際大会へ出場し、
「オグシオ」の名称で‘日本最強ペア”として活躍。
・2010年引退後は、スポーツインストライターとなり、
子供たちを中心に、バドミントンの楽しさや面白さを教えている。
~「オグシオ」結成にあたって~
・8歳の時、姉や兄の影響でバドミントンを始める。
・小学校の頃から全国大会の常連となる。
・12歳の時の全国大会の準々決勝で、
後のダブルスのペアとなる「潮田玲子」選手と初対戦。
「潮田玲子」選手とは、小・中・高まではシングルで競っていた。
・高校1年生の時、
アジアジュニア選手権の強化合宿において初めてダブルスのペアを組む。
・この時はまだ仮のペアでしたが、先輩達の正規ペアと
対戦し勝ったため、2人はダブルス選手としての可能性に気づく。
・その後、小椋さんが「潮田玲子」選手を実業団の名門三洋電機に誘い、
そこで正式にダブルスのペアを組み「オグシオ」が誕生。
~苦難をのり超えての北京オリンピック~
・社会人1年目はシングルで活動し、
史上初の予選から勝ち上がって「全日本女子シングル」で優勝。
・翌年からは、潮田選手とダブルスを組み
2004年のアテネオリンピックの選考大会に参加するも
潮田選手の病気や小椋選手が足の指を骨折するなどして
オリンピックへの出場を逃してしまう。
・しかし、
その年の全日本ダブルスで、オリンピック代表ペアを破り、悲願の初優勝。
・その後、
ペア解散の2008年まで、大会5連覇を成し遂げる。
・5連覇の間に、
2005年にはアジア選手権ダブルスで準優勝、
デンマークオープンで初の大型国際大会で優勝を飾る。
・2006年の国際大会以降、「オグシオ」の効果のためバドミントン人気沸騰。
以後、順調に国際大会で数々の好成績を残し、
2008年に念願のオリンピック代表に選ばれる。
~北京オリンピック出場とその後~
・北京オリンピックは、
プレッシャーいっぱいの大会で、体は動かず、足は地面から離れなかった。
名前をコールされて緊張感は最大・・・何が起こるかわからない状態に!!
・その極度の緊張状態の中、
他国の強豪選手と熱戦を繰り広げ北京オリンピック5位入賞を果たす。
・その当時の世界ランキングは6位、日本ランキングは1位でした。
・「オグシオ」ペアのラストマッチは、
全日本で優勝(5連覇)という優秀の美を飾る。
引退後はスポーツ関連会社と
マネジメント契約し、国内外を問わず、
バトミントンを中心とした、スポーツ普及活動を展開中。
私「洋ちゃん」のひとりごとです。
・スラットした色白の小椋久美子さん大好きになりました。
・お話の内容も分かり易く、
これからのスポーツ普及活動者としては最適な方では。
・「ガンバッテ出来なかったら仕方がない」と
ふと話された言葉が強烈に印章深く残っています。
・小椋久美子さんの、今後の活躍を期待しています!!
昨日(1日)NHKの
イブニングニュースで
小椋久美子さんの
バドミントン普及活動を
報じていました。
(付記です) 東海高校5Fから東方面を望む。