初版1992・01・31

だいたい外国の訳された本は、文字数が多くて、文字の多い割に意外と内容も薄くしんどい。

この本も文字数が多かったものの、映画1本1本の制作の様子や多少のストーリーの関係も書いているので、文字数が多いだけの意味があるような気がした。

 

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<印象に残ったことの感想まとめ>

いかに全面的にコントロールできるか。

 

アンチヒーロー

 

 

大金が入るもののその分の経費も掛かって、仕方によっては損すること。

 

そこそこの段階でラストも決まっていないのに映画を撮り始めてから脚本を作ったりして、売ることを目的としている事。

 

 

 

 

映画の収益の中には、間にいろんな業種の人が入っていて、場合によっては思ったほどの儲けが出てなくて、役者を安くで使っていること。会社によっては役者が思ったよりも金をもらえてない時がある。

有名プロデューサーでさえ、(映画業界の金銭価格として、)ささいな資金調達の金を集めることが出来なかったりする事。

(この辺は日本の芸能人の事務所との金銭トラブルとかにも詳しくは知らないが似てるのではないかと思った。)

タレントが思ってるよりも経費が膨大にかかっていたりもありつつ、会社側が多くとっていたりもありつつと言った事があるようだ。

 

 

 

大手映画会社に入ると、自分ではコントロールすることが出来なくなる。自分の会社ですると、コントロールはしやすくなるが、金銭面でストイックにいかないといけない。

 

 

 

以外と思ったのは、

日本の映画の放映権を買い取って、海外でも子連れ狼等の関係の映画を流したりしていたことだ。1970年代だったか?

それでも大ヒットではなかったのだろうけど、収益を出せている事。

 

 

 

終盤、売り上げが落ちていたい著者の映画会社を買い取りたい人が現れる。それで高値で買い取ってもらえるのだけど、その実の目的は、売り上げが落ちてるとはいえ(名が知れてる会社だったので)株式公開して資金集めのため。

そこから、契約とは違い賃金を払わなかったりとトラぶったりもしていて。

他の場面でも、業者とは契約上で暗雲を立ち込めたり、

俳優もクセがあったりするようだ。

この本は昔の本なのだけど、

なんとなく日本の芸能界もこうなのかなって思えてしまった。

 

終盤、テレビ番組の関係の仕事をするのだけど、テレビ番組の企画は、今あるテレビ番組を模倣したものがだいたい企画に上がって、企画会議ではそれを褒めあうという。負のサイクルが。

注目されてる脚本家すらも、今あるテレビ番組の模倣の企画を案としてだすという。

こういうくだりも、そのまんま日本のテレビ界とかもそのままというか(知らんけど素人目に。)。この2017年の現代も、1992年に発売された本と同じだなんて。昔の伝統のままなんだなって思った。

 

 

 

役者はこだえわりすぎてもいけない、柔軟性がないと消えるのではないか。

 

会社を株式公開しては、部外者もはいってくるので、自分だけではコントロール不能になる。

 

 

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この本で思わされたのは、

「大企業のトップになるか」「個人商店の店主になるか」どっちがいいのかという判断材料になる本ではないかと思った。

 

 

 

「大企業のトップ」の方が人として偉いと思っていたけど、

偉い偉くないという価値観の目線自体がずれてて、

 

自分でコントロールできるかできないか?

コントロールできない世界でもやっていく気持ちはあるのか?

確かに、大企業のトップは金持ちではあるけど、その分のしがらみが複雑にあるようで。

 

 

 

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大槻ケンヂの「サブカルで食う」という本で、この本を進めていたので、図書館で借りて読んでみた。

「サブカルで食う」という本は、この本に少しスジが似てるような気がした。この本の超簡易日本版みたいな。

 
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派手にやって売上げあげてるのに宣伝にも金使ってるから思ったほどの収益が出ないということ。
 
飽きさせないために
アクション、工口、暴力とかを入れていくと割とどんなのでもウケがいいからそうするとか。
 
 

映画自体は、ビデオを売るための広告目的として使ったりとか、いろんな手法もあるようだ。

 

 

 

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映画を作りたい人や俳優になりたい人、ストーリーを作りたい人には多少ためになる本ではないだろうか。

 

 

 

割とこの本は、(一部で?)有名な本だったと思うが、

あとがき を書いている翻訳者の方(石上 三登志)が、この著者(映画監督)の熱心なファンのようで、翻訳の具合が熱意に変わっていて内容もよかったのではないかと思う。