昭和の港区②-1 表参道交差点(つづき)
映画も見に行けずに籠っているので、今日もまた、古い記事をひっぱりだしてきてみました。『昭和の港区② 表参道交差点』すっかり姿を変えてしまった表参道。私が個人的に 変わらないな~と思うのが・・・・表参道(青山通り)交差点の① 灯篭 ②表参道交番 ③山陽堂書店の壁画の3点…ameblo.jp23区が独自に製作している紙の地図集を探しているなかで最近はデジタルアーカイブに残っている地図や映像もチェックするようにしているのですが、この時につかわせていただいた、港区のオープンデータがやっぱり一番きれいだな~と思って見ていました。港区の写真 昭和41年(1966) - 東京都オープンデータカタログサイト港区の昭和41年(1966)の写真です。catalog.data.metro.tokyo.lg.jp青山通りの表参道交差点1966(昭和41)年この時は、ここに残る① 灯篭 ②交番 ③壁画の三点セットが自分の記憶に残っている「今もかわらない懐かしい風景」というようなことを書いたのですが、今日は別のところにも目が行きました。それはこれ!↓うっすらと見える2基の塔なんですけど、けっこう高い。で、この写真が撮られたのは1966年。とすると、1958年に東京タワーができる前に活躍していたNHK, NTV、KRテレビ(TBS)のテレビ塔のどれかなんですけど即答できないのがもどかしい~!それぞれのテレビ塔の位置は、昭和30年代の区分地図を見ればわかるんですが港区~千代田区にまたがっているので、1枚の地図では見られません。しかたなく、東京全図に書き込んでみました。右側のテレビ塔の後ろには国会議事堂が見えているのでこれは赤坂のKRテレビ(現TBS)のテレビ塔、その左側がNHKの千代田送信所のタワーそして日本テレビのはビルの陰で見えない・・・単純に考えるとそうですが、これで正しいかはわかりません。私くらいの年齢でこれが即答できなくても、別に恥ずかしいことではないんですが、まだ高層建築のなかった時代、きっとこの3基のテレビ塔は都心のランドマークだったと思うんですね。当時都心で一番高い建物は国会議事堂の中央塔の65m。テレビ塔はそれぞれ180m近くあったから、きっとそのころの大人は見分けついていて目印にしていたんじゃないかと。(←想像です)東京タワーができた後もけっこう長いこと残ってはいたようなのでもっと記憶にあって良い気もするんですが、なんで誰も覚えていないんだろう?『アサヒグラフ』昭和33年(1958)6月15日号よりやっと1枚見つかりました!でも東京タワー以前のテレビ塔の画像がほんとに全然見つからないのは不思議ですね。しかたないのでまたこれを載せちゃいますが、70年代末くらいに亡き父が自宅のベランダから撮った写真。これは間違いなくNHKの千代田送信所の電波塔なんですけどかなりシンプルな構造なのがわかります。(その上の画像を見ると)KRTは曲線が使われてるし日本テレビは無料の展望台があったそうなので、けっこう見分けがつくかもしれません。********実は、テレビ塔のほかにもうひとつ、気づいたことがあって、それがこれ↓表参道とは反対側にある「ことぶきや」が私の知ってる昭和のおわりにもあったのを思い出したのです。今もあるみたいなので、ちょっと見にいってきました。(熱中症になる前です)この緑色の建物が「ことぶきや」昔から信楽焼のあのたぬきがごろごろ置いてありましたがなんと今も!そして、渋谷寄りには、サトちゃんのいる薬局もありました。昭和35年の住宅地図には載っているので昭和41年の写真の画角に入ってなくて残念です。