12月28.29日にオヤジのお通夜、告別式をしました。


年末で仕事が物凄く忙しくお通夜当日もギリギリまで仕事をしていました。


あまりにも忙しく、悲しむことさえ出来ない状況でした…。


少しでも爺ちゃんへの想いを形にさせてあげたいと思い、姪っ子2人に祭壇の花の一部分を挿してもらおうと思い、一部分残しておきました。


オヤジを実家に迎えに行き、式場に連れてきて、姪っ子2人にレクチャーをしながら花を挿してもらいました。あまり時間が無かったので全てをやらせてあげる事は出来ませんでしたが、それでも姪っ子達は喜んでくれた様に思います。オヤジもきっと喜んでくれたはずです。



恥ずかしがり屋なので顔は消しました。

遺影写真は2年ほど前に亡くなった愛息子を抱いた写真にしました。


私が実家に行く度に『もう最期だから写真撮れ』と言われ撮っていた写真の一枚です。


少しだけ思い出コーナーも作らせていただきました。

愛息子(ワンコ)を抱っこしている写真がほとんどですが、本当に大好きだったので沢山思い出の写真があって良かったです。




何とかお通夜までに私の支度も間に合いお通夜が始まりました。


遺族席に座り、坊さんの読経が始まると何故か涙が出てきました。


私は葬儀業界の人間ですから、これまで何千、もしかしたらもっと多くの回数の読経を聞いてます。しかし涙が出てくる事は殆どありません。


しかしなぜか溢れてきました。きっとギリギリまで仕事モードだったので感情のコントロールが効かなくなってしまったのかもと思いました。


何とか無事にお通夜を終え、親戚だけで食事をし帰宅しました。


その日もなかなか眠れず、ようやく眠れたと思ったら悪夢で目が覚め結局ほとんど寝ないまま告別式の日を迎えました。




告別式が始まり、坊さんが読経を始めると私はまた涙が溢れてきました…。そこでようやく理解しました。『俺は悲しいんだ。大好きなオヤジが亡くなって悲しい気持ちで一杯なんだ。』ようやく理解しました。


読経が終わり花入れをする時にはもうダメでした…。涙腺が崩壊し号泣しました。


今年の父の日に贈ったウイスキーと同じ物を用意していたので少しだけ唇に付けてあげました。


私は下戸なのでオヤジと酒を酌み交わす事が出来ませんでしたからグラスに残った少量のウイスキーを体全体にかけました。



そして兄貴が喪主の挨拶をした時、『私はオヤジに一度も怒られた事がありません、しかし一度だけオヤジが本気で怒った時の事を覚えています。それは幼少の頃、弟が悪さをした時、かなりの剣幕で怒鳴り殴りました。私はそれを見た時、羨ましいと思った事を覚えています。』その話を聞いた時、その時の記憶がフラッシュバックしてまた涙が溢れてきました。




オヤジは私達を不自由なく育てる為に寝ずに働き続けた男でした。


オヤジのオヤジはオヤジが4歳位の時に亡くなったからオヤジはオヤジを知りません。きっとオヤジにとってのオヤジ像っていうのは分からなくて戸惑いも沢山あったと思います。私を殴った時もきっと辛かったのだと思います。


でも私や兄貴にとってオヤジは最高のオヤジだった事だけは間違いありません。


家族を愛し、底抜けに優しいオヤジは私達の誇りです。


『アイツは俺に似ている』と私がいない時にオヤジはそう言ってくれていたらしいです。


オヤジには遠く及ばないですが、この先の人生もオヤジに近づける様に背中を追いかけていこうと思います。



オヤジ、オヤジの息子で本当に良かった。ありがとう。マルが必ずオヤジを迎えにきているから向こうでも仲良くしてね。