12月19日午前5時30分父親が亡くなりました…。


前立腺癌と診断されてから3年間、本当に辛い思いをしながらも頑張って生き抜いてくれました…。


思い返せばオヤジは病気との闘いが長かったと思います。


初めて大病したのは私が22歳だったので26年前だったと思います。その頃は私はまだ実家暮らしをしていました。


風呂に入ったと思ったら直ぐに出てきて私の目の前でぶっ倒れました。


救急車を呼び病院に運ばれ、検査もろくにせず点滴打ち終わったら帰っていいですと言われて私がブチ切れたのを覚えています。その後別の医師が来てくれて心電図を見て少し異常がありそうだという事になり、翌日精密検査をしたら心筋梗塞が判明し、しかもかなり危険な状態だという事で、心臓のバイパス手術をしました。


それからも何度か倒れました。姪の結婚披露宴の最中にも倒れました。


そして私の亡くなった彼女の葬儀が終わり、火葬場で食事をしている最中も倒れました。亡くなった彼女は看護師さんでした。そして彼女のお友達も看護師さんで、その場に私の記憶だと3人の看護師さんがいてくれたお陰で迅速且つ適切な対応を取って下さり事なきを得たという事もありました。


バイパス手術をした後も何度か血管が詰まりカテーテル手術?でステントを何度か入れています。


胆嚢炎になり、入院してカテーテル手術?か何かしたら医者のミスで膵炎になってしまい危険な状態にもなりました。


沢山の病気と闘い、それでもその度に頑張って回復してきたオヤジ…、本当に頑張り抜いた人生だったと思います。


亡くなる前日の夜、アニキから連絡があり嫁さんとオヤジに会いに行くと時折痙攣が起きていました。痙攣が治まった時に手を握り、声を掛けると力強く握り返して意思表示をしてくれました。


一旦帰宅して少し寝ていたら母親からの着信がありました。着信を見た瞬間亡くなったんだと思いました…。


それから直ぐに嫁さんと実家に向かい、オヤジの顔を見ると数時間前の辛そうな顔ではなく、ただただ穏やかな、まるで寝ている様な顔でした…。


79歳、オヤジは家族の為に寝ずに働き、家を建て、私達に何不自由なく生活させてくれました。本当に感謝しかありません。


オヤジがまだ話が出来ていた頃に、嫁さんが1人で実家に行ってくれた時、オヤジが『アイツは俺に似てるんだ』と言ってくれていたと嫁さんから聞きました。


涙が溢れて止まりませんでした。私はオヤジの様に立派な人間ではありません。でもオヤジの背中は追いかけているのは間違いありません。


私はオヤジの子供として生まれてきたことを誇りに思いますし、オヤジには感謝の気持ちしかありません。


ありがとう親父、向こうには愛息子のマルや先に逝った人達がきっと待っていてくれてるよ。


あと数日しか一緒にいれないけど、俺が出来るのは花を挿して飾る事だけだから、精一杯送るからね。