★ あがり症でも、人見知りでも、コミュ障でも、ステキな人生に変えることができますよ!



⁡どぉーもー、森脇カナメです。

あがり症で、人見知りな青年が

結婚パーティの司会を

見事に務めた、

と聞いたら、

あなたはどう思いますか?

そんなの

ウソでしょ!

と思いますか?

いいえ、

ウソじゃないんです。

本当の話です。

その青年は、

あがり症で人見知りでしたし、

それに

ココロにトラウマを

抱えていました。

幼い頃にずっと

両親の不仲を見てきたし、

小学生になってから

イジメも経験しました。

自分の周りの人たちを

怖いと感じていました。

世の中や人に対する

信頼感が無かったんです。

そんな彼でしたが、



変わることができたんです。


司会者として、

100人近い人の前に立ち、

パーティの進行をする。

過去の彼からは

想像できない姿です。

この話を聞いて、

その人は特別だ。

自分にはできない、

と思いますか?

いいえ、

あなたにもできますよ。

じつはね、、

この青年とは、

かつての

僕のコトなんです。

かつての僕は、

あがり症で、人見知りで、

内気で、気が弱く、

いつも人の顔色を

うかがっていました。

だから自分がやることを決めて、

行動できなかった。

そんな僕が司会をしようと、

決心し、行動したのです。

ぶっちゃけ、

自分でも信じられません!

僕を突き動かしたのは、

何だったのか?

それは、憧れでした。

中学生の頃、

聞いていたラジオ。

軽快なおしゃべりをする

パーソナリティーに憧れました。

「こんなふうに自由に楽しく

おしゃべりができたらイイな」

そう思ったのが最初のきっかけ

だったのです。

この憧れが僕の中にずっと

消えずにあって、

大人になって

話し方の学校に通うようになり、

さらに結婚パーティーの

司会までするようになったんです。

こうやって思い返してみると、

「本当によくガンバッタよな」

と過去の自分を

ほめてあげたくなりました。

もし、あなたが、

あがり症や人見知りや

コミュ障で悩んでいたとしても、

「こんなふうになりたい!」

という夢があれば、

きっと変われますよ!

その憧れが、

あなたをステキな未来へと

導いてくれるはず。

僕はいつでも応援してますよ。

★ ダメな自分を変えたい!


どぉーもー、森脇カナメです。


僕、森脇カナメの物語、
前回の記事は

『ガラスの10代』

でした。

 


そこでも語ったように、

幼少期に暗~い家庭で育った僕は、

トホホ、

自信のない内気な子どもに

なってしまったんだ。


 

そんな僕も、

やがて成長し、大学に入った。




ここから新しい環境になるんだから、

明るいハツラツとした、

テレビのドラマに出てくるような

好青年になりたいなーー

って願っていた。


 


だけどね、

性格ってナカナカ変わんない。


 

やっぱり内気で人見知りなまんま。


 


季節はめぐり、時は過ぎ、


 

大学4年生になった。


 


いよいよ就職、



社会に出ていくっていう時、


僕は自分の人生ってやつを

見つめなおしたんだ。


 


うーーーーん、

ちくしょーーーー!




これから先の未来も、

内気で自信のない自分のまんまは、

イヤだ。


 


自分を変えたい!


 


 これから社会に出るこのタイミングは、

自分を変える絶好の機会じゃないか?


 


初めて真っ直ぐ自分と向き合って、

自分と語らった。


 

真剣に考えた。


 


 

そして、


ある決心をした。


 


 

どんな決心かって?


 


内気で人見知りな僕にとっては、



バンジージャンプ級の挑戦。


 


僕はね、



営業の仕事


 

をやろうって決めたんだ!


 


人と必ず会う仕事


営業。


 

その逃げられない環境に身をおけば、

僕のネガティブな性格も

ポジティブな方向に

だんだんと変わっていけるんじゃないか。


 

そんな願いにも似た決心だった。


 


 

今思い出してみると、


我ながら、

よく決心したと思う。


 


自分を変えるため、


よく決心して、


行動に移した。


 


僕はある商社の営業マンになったんだ。



僕は変われたのか?


 


この続きはまた話すね。



★ ガラスの10代




 

どぉーもー、森脇カナメです。



この記事


『神様にお祈りするようになった理由』


では、


荒れた家庭の中で

子どもだった僕が

神様にお祈りする習慣を

身につけていった話をしたね。




幼かった僕も成長した。



 

10代になった僕は

どんな少年だったと思う?




その頃の僕は、

コンプレックスが服を着て

歩いているような少年だった。


 


 幼い頃から、

自分にまるで自信がなかったんだけど、


 


それは思春期になっても、

1ミリも変わらなかったんだ。



いや、

むしろ自信が無くなる体験を重ねて、

もっと強化されたかもしれない。



10代の僕は自分はダメなヤツって、

強く思ってた。



そのことを何度も思い知らされて、

ココロは磨りガラスのように

傷ついていたんじゃないかなを



だから、

傷ついたココロを人から見えないように

隠して、


それ以上傷つかないため人を避けて、


自分のカラに閉じこもっていたんだ。


 



自分に自信がないとさ、

自分が思ってることも、

自信がなくなる。


 


それでさ、

人前で自分の考えを表現することが、

超々ニガテになっちゃったんだ。


 


「あぁ、周りの人に比べて、

なんて自分はダメなヤツなんだ」


と、灰色の重たいタメ息をついていた。


 



そんな僕なんだけど、


好きなモノがあった。


 


それはね、


映画を観ること。


 


特にね、

最初ウダツが上がらない主人公が、

成長していって最後にヒーローになる、

みたいなストーリーに感動していた。


 


今思うと、

変わっていく主人公に

自分を重ねていたんだろうね。


 


きっと、自分の人生も変えてみたいと、

少年の僕はココロの奥で、

切に願っていたんだろう。


 


あぁ、はかない夢を見ていたな、、。


 


だけど夢は夢。


 


現実は映画のストーリーのように、

なかなかウマクいかない。


 


変われないのに

夢見ることは

とてもツライよね。


 

だから僕は

夢見ることをだんだんあきらめていった。



で、あきらめを繰り返していくことで、


あきらめるコトが、

当たり前になっていった。



10代の僕にとっては、

あきらめるコトが

それ以上傷つかないための

唯一の方法だったのかもしれない。




とっても切ないな・・。




それから僕はどうなっていったのか、

続きはまた話すね。



★ 神様にお祈りするようになった理由



 どぉーもー、森脇カナメです。



僕が子ども時代に育った家は、


前の記事


『僕はアダルトチルドレンだった!!』


に書いたように

安心できる場所じゃなかった。



安心とはほど遠い、

チョー荒れた家だったんだ。


 


あれは、

僕の人生の中で

もっともヒドイ思い出だね。




思い出すと、


虚しさや哀しさや怒りなど、

いろんな気持ちが混じって

こみあげてくる。





このブログで何度か書いてきたけど、

僕が幼かった頃、

お父さんが酒飲みで、

酔うと大声を出したりしてた。


 


正直、怖いし、

イヤだった。


あのお父さんの声を聞くのは、

ほんとぉーーに

イヤだったんだけど、


 


 もっともっとイヤなコトがあったの。


 


何だと思う?


 


それはね、


お父さんが酔っ払うと、


 


 

お母さんをイジメていたコトなんだ!


 



お父さんは毎晩、晩酌をしていた。


 

「よく飲むなー。

もうやめてくれないかな」


と、子どもながらあきれて、

ウンザリした気持ちになっていた。


 


そんな暗い気持ちを

さらに大きくするようなコトをするのが、

うちのお父さんだった。


 


ホント困ったオヤジだったな。


 


 

うちのお父さんはさ、

お酒がたくさん入るとね、

わざわざ外のお店に

出かけて行くんだ。


 


しかもさ、

週1回ぐらいのペースで

出かけていくの。


 

行きつけのスナックがあって、

その店を2軒3軒とハシゴする。


 


家でたくさん飲んで、

さらにだよ。



 

「マジ、信じられないない!」

っていつも思ってた。


 


そうやって出かけたお父さんが

帰ってくるのは、

夜中の12時過ぎ。


 

僕は2階の自分の部屋で

寝ているんだけど、


 

家の外から聞こえてくる、

男の人の怒鳴る声で目が覚めていた。


 


その声の正体は、



そう、

グデングデンに酔っぱらった

お父さんなんだ。


 


突然、

家の玄関のドアを

ドンドンドンドンとたたく音が

真夜中の暗い家の中に響く。


 

ビクっとする。


 

寝ていたお母さんが起きて、

玄関のカギを開ける。


 

家の中に入ると、

お父さんはもっと大きな声で、

ワケのわからないコトを叫ぶ。



2階のフトンの中で、

僕はその声を聞きながら

さらに身体を硬くした。


 


そこから一番イヤな時間の

始まりだ。


 


もうすでに酔っぱらってるのに、

お父さんは食卓のテーブルで、

ビールをちびりちびりと飲み始める。



テーブルの対面に

たたき起こしたお母さんを座らせる。


 


何が始まるのか?


 

お父さんは普段溜め込んだ

不平や不満を、

お母さんに吐き出すんだ。


 

時々気持ちが高ぶるのか、

声が怒鳴り声に近くなる。


 

お母さんはただ固まって、

じっと聞いている。


 


幼い僕の家では、

週に一度のペースで、

これが起きていた。


 


これが僕の家の日常だった。


 


この時、

2階の部屋のフトンの中で僕は、

身体とココロを緊張させながら、

お母さんを心配していた。


 


「お母さんカワイソウだな。

ダイジョウブかな?」


 


いくら心配しても、

小さな自分はお母さんを助けることが

できない。


 

子どもながらに、

大きな無力感を感じていた。


 

せめて、何かできるコトはないか?


 


幼い僕は、どうしたと思う?


 


 

僕はね、


 

・ ・ ・


 

・ ・ ・



・ ・ ・


 

神様にお祈りをしたんだ。





「神様、

お母さんを助けてあげてください。

お父さんが早く寝て、

おとなしくなりますように」


 

そんな祈りの言葉を、

フトンの中で声をひそめて、

繰り返してた。


 


だけど必死にお願いしても、

願いは1度も

叶えられなかった。


 


お父さんのお母さんへのイジメは続き、

時には、

朝になってしまうコトもあった。


 


 

あれから何十年経ってるのに、

今でも覚えてる、

悲しくて、ツラクい思い出だね。


 

もう忘れてしまいたいな。


 


 


ちょっと話を変えよう。


 


僕は、お仕事で関わる人たちの幸せを、

よく神社でお祈りする。



もちろん、

あがり症で悩む生徒さんたちが

ラクになりますようにとも

祈ってる。


 



 この祈りの原点は、

じつはこの子ども時代に

あるんだ。


 


 僕にとって神様は、

とっても身近な存在なのさ。


 


 とても優しい、

すべてを包み込んでくれる、

理想のお父さん、お母さんのような

イメージかな。




神様は僕にとって、

ココロの拠り所なんだ。




僕はいつも、

このブログを読んでくださる人が、

あがり症の悩みが無くなり、

幸せになるように祈っている。


 

その願いがかなえられて、

あなたがラクになれたらイイな。





★ 僕はアダルトチルドレンだった!!




どぉーもー、森脇カナメです。




僕、森脇カナメの物語
前回の記事はコチラでした。

『僕の自己肯定感がダダ下がりした原因』




幼い頃の家庭の風景。


お酒を飲んで荒れて
母親をイジメる父親。


父の突然の怒鳴り声。


何が起こるかわからない緊張感。


「お父さんを怒らせる自分が悪い」
と思って感じる罪悪感。


「お母さんを助けることができない
自分はダメなやつ」
という自責の気持ち。



こんなふうに、
幼い僕が育った家庭は、

安心を感じられる場所では

なかったんです。



あそこは、
安心の源であるべき家庭の機能を、
まったく果たしていませんでした。



こんな家庭のことを、
機能不全家族と言います。




この機能不全家族の中で育った人の中には、
大人になった後も
いろんな“生きづらさ”を
感じる人がいます。



その人たちを表すコトバがあります。



知っていますか?



それが、




アダルトチルドレンです。




アダルトチルドレンは
よくACと略されます。


アダルトチルドレンは、
どんな生きづらさを抱えているでしょう?



次にあげてみますね。


・自己肯定感がとても低い


・自分の考えや行動が

 「これでいいんだ」と確信が持てない


・物事を最初から最後まで

 やり遂げることが難しい


・自分のことを厳しく批判する


・楽しむことがなかなかできない


・人と親密になるのが難しい


・ムリをして周りに合わせようとする


こんな生きづらさです。



僕はカウンセラーを目指し、
カウンセリングの勉強をしていた時期が

ありました。



その時にこれらの生きづらさを、
自分はすべて持っていると

知ったんです。



ーーーーーーーーーー

自分はアダルトチルドレンなんだ!

ーーーーーーーーーー

そのことに気づいたんです。



この気づきは、その後
アダルトチルドレン専門カウンセラー
になる出発点になりました。



ここから僕は

アダルトチルドレンとして生きづらさを
カウンセリングを受けて

解決していったんです。



同時にアダルトチルドレンの人たちの
悩みを解決したいと

強く思うようになり、



カウンセリングの勉強を

熱心にしていったんです。



今、


こうして過去を振り返ってみると、

自分に起きた出来事は、
ちゃんと運命の糸でつながっている

って思います。



とてもフシギですね。




だからあなたに伝えたいんです。



あなたの過去や今が

たとえツライものであったとしても、

それはこれからの未来で

かならず生かされますよ。





過去のツラさが、
きっとこの先の希望になるんです。




そう信じて光が輝く未来に向かい

歩いていきましょう。



じゃあ、また!

〜〜〜〜〜〜

森脇カナメの物語

次の記事はコチラ


『神様にお祈りするようになった理由』


です。



★ 僕の自己肯定感がダダ下がりした原因


 



 


どぉーもー、森脇カナメです。



僕、森脇カナメの物語
前回の記事はコチラでした。

『僕は自分の気持ちを殺して、マリオネットになった』



これまでの記事に書いてきたように、

幼い頃の僕は、
内気で人見知りな性格でした。



僕の家では、

お父さんがたくさんお酒を飲んでは
ふだん溜め込んだ不平や不満を
お母さんにぶつけて、

イジメていました。




その見るのがツライ場面を、

小さな僕はずっと息を殺して

見ていたんです。




僕にとって「家」は

安心できる場所じゃなく、


反対に危険な場所でした。




なので身体もココロも、
ピーンと張りつめた糸のように
いつも緊張していました。




幼い子どもにとってね、

「家」って特別な空間なんですよ。



家は世の中全体を表し、

父親や母親は

人全般を表しています。




幼い時に僕の人生における
「世の中」や「人」のイメージが
決定しました。



僕は無意識に、


世の中は危険、

人って信じられない、


そう思うようになったんです。





それから父親や母親って、
子どもから見たら神様みたいな
絶対的な存在です。




機嫌が悪くなったお父さんが、
お母さんをイジメているのを見て
僕はこう思っていました。



僕が悪い子だから、
お父さんは怒っているんだ。



かわいそうなお母さんを
助けられない僕はダメな子だ。




悪い子、

ダメな子、



こんなセルフイメージを持つように
なったんです。




こうやって幼い僕の自己肯定感は、
グングン下がっていったんです。




「三つ子の魂百まで」というコトワザが
ありますよね。



子どもの時に決めて取り入れた
低いセルフイメージは、
大人になっても変わりませんでした。




それどころか自己肯定感の低さは、
ますます強化されていったんです。




そして大人になった後は、
職場の人間関係において、大いに苦しむ
原因となっていったんです。



ほんと、ツラかったな。




僕は大人になって、

あるコトをきっかけに

自分の自己肯定感の低さは

幼い子ども時代に原因があると

気づきました。



その話はコチラに書きました。


『僕はアダルトチルドレンだった!!』



それじゃあ、また!


★ 僕は自分の気持ちを殺して、マリオネットになった!




どぉーもー、森脇カナメです。



僕森脇カナメの物語、

前回はこの記事でした。


『僕が人見知りな性格になった理由』


僕は今、

あがり症克服の話し方コーチを

しています。




なので、

人の話をじっくりと聞いたり、


人前で話すことも多いです。




そんな僕なんですが、、



昔から人との会話が


得意だったわけじゃないんです!






正直言っちゃうとね、



昔はどっちかと言うと、

口下手で内向的で、



人前で話すことに、

大きな苦手意識を持っていたんです。





時間を昔にさかのぼってみます。




4、5歳だった頃の幼い僕は、

どんな子どもだったと思いますか?





あの頃の僕は、


内気で人見知りで、


人の前に出るのが


超苦手だったんです。





んーなんか、

人が怖いっていう感覚が

いつもありましたね。




だからいつも、

ちっちゃくなって、

母親の影に身をひそめていました。




そんな僕なので、

本当に自分が思っているコトとか、

したいコトを、

まったく人に言えませんでした。






内気な僕の姿を見て、

近所のおばちゃんは良く

こう言ってたな。





「カナメちゃんは男の子なのに、

おとなしくて何もしゃべらんね」






「男の子なのにおとなしい子」





そう言われるたびに、

僕のココロは大きく揺らいでいました。




そのココロの揺れを

顔色に出さないよう、

必死でこらえていた。




だけどね、やっぱりココロの内側では、

その言葉を受け入れることができず、



声にならない声で叫んでいたんです。





〜〜〜〜〜〜

別に話したいことがないわけじゃない!



何をどう言っていいのか、

それがわからない。



それが苦しんだ!

〜〜〜〜〜〜





これが、幼い僕のココロの叫びです。





そんな満たされない気持ちを

抱えながらも、



僕は周りの大人が貼り付けた、

「内気でおとなしい子」というレッテルに、

自分をおしこめていました。





思い返すと、



息苦しくて、



息苦しくて、




窒息しそうだったな。





幼い僕は、ゼーゼーと

苦しい呼吸をしながら、



生き延びるために、

必死で自分の役を演じていたんです。




まるで周囲の期待に応え続ける

マリオネットのように。


こうして周りに合わせ、

自分を押し殺しているうちに、

僕はさらに自分に自信が持てなくなって

いきました。



続きはコチラ


『僕の自己肯定感がダダ下がりした原因』


です。



★ 僕が人見知りな性格になった理由







どぉーもー、森脇カナメです。


僕森脇カナメの物語
前回の記事はコチラでした。
『僕は人見知りで自信が無い子どもでした』


さて、今日も僕の子ども時代に話です。


僕が生まれたのは、

福岡県北九州市の八幡という

工業の街です。




八幡は、明治時代、

日本で初めて国営の製鉄所ができたので

有名です。




そんな古い歴史を持つ八幡。




町のどこにいても見えた

ノッポの煙突たち。



朝も夜も昼も、

白い煙をモクモクと空に向かって

吐き出していました。



僕の父親は、その八幡にある

大きな製鉄所に勤めていました。




お父さんは工場の技術者でした。





幼い僕のイメージで、

お父さんはとても怖かった。




いつも厳しい顔。



めったに笑わない。



神経質でうるさいコトが嫌い。



自分が気に入らないことがあると、

突然怒り出す。




僕の兄弟は、

10歳年上の兄ちゃん、

5歳上の姉ちゃん、

そして僕の3人でした。



小さな子どもがはしゃいで、

騒ぐことはありますよね。



だけど騒がしいのがイヤなお父さんは、

それが気に障って、

すぐにすごく大きな声で

僕たちを怒鳴ったんです。





身体が半分に縮むほど怖かったな。





幼い僕は正直言って、

お父さんがなぜ怒っているのか、

よくわからなかった。





油断していると、

予想しないタイミングで、

突然大きな声で雷が落とされるので、


本当に心臓が止まるほど

ビックリしていました。




だからいつもいつも

お父さんが怒るのを警戒して、

身構えていました。





子どもの頃の僕が住む家の中は、

こんなふうにいつも緊張の糸が

ピーンと張りつめていたんです。





その緊張をもっと強くしていたことが、

ありました。





僕のお母さんは無口で、

自分の思っていることを口にすることが

少ない人でした。




お父さんは、そんなお母さんの

どこが気に食わないのかわからないけど、


いつもお母さんのすることを

「おまえが悪い」と責めていました。




特にお酒を飲んだ時は、

赤鬼みたいな怖い顔になって、

溜め込んだ不平や不満を

お母さんにぶつけていました。




お母さんはただ黙って、

その言葉をうなだれて

じっと聞いていました。




子どもの僕は、二人の姿を

距離をとって見ていました。




お父さんが怖い。



お母さんがかわいそう。




そう思いながら、身体とココロは、

とても緊張していました。





こうしていつの間にか

幼い僕にとって自分を取り巻く世界は、

危険な場所になったんです。





この世界の僕以外の人は、

みんな危険で信用できない。




そう思うようになったんです。





この思い込みが、

だんだん僕の人見知りな性格を

作っていきました。





「三つ子の魂百まで」といいます。




この人見知りな性格は、

大人になった後も、

僕を苦しめるようになりました。


続きはこちらの記事です。
『僕は自分の気持ちを殺して、マリオネットになった!』


★僕は人見知りで自信が無い子どもでした




どぉーもー、森脇カナメです。



僕は1967年3月31日、


福岡県北九州市の八幡(やはた)という街で
生まれました。




八幡(やはた)

って聞いたことあります?





八幡はね、日本で最初に
国営の製鉄所が作られコトで有名です。




サムライの時代が終わり、
新しい明治の時代をむかえた日本。



ヨーロッパやアメリカに負けない
近代国家にならなきゃ!



強い軍隊を作らなきゃ!




そんなふうに日本は、
ヤッキになってました。




でね、その目標を達成するためには、
ぜったいに、鉄が必要だったんです。




で、その国家の繁栄にとって
超ダイジな鉄を作る工場を福岡の八幡に
建てたんです。


そうやって僕のふるさと八幡は、
明治、大正、昭和と、
「鉄の街」として発展していくことに
なるんです。





僕の育った家は、
その八幡で一番高い山、
三角形にそそり立つ、
皿倉山(さらくらやま)のふもとにあったんです。





幼い頃を思い出します。



僕の家があった高台からは、
八幡の工場地帯全体が見下ろせました。



でね、とってもキレイだったーーー。



何がって?




夜になるとね、工場地帯の灯りが

赤や緑や白などの光る宝石になるの。





キラキラと瞬くさまに見とれたね。





こんなふうに小さい頃の僕は
ちょっと夢見がちなところが
あったんです。



そして、とっても内気で
人見知りな性格だったんです。



それにね、僕は自分に
あんまり自信がない男の子だった。



なぜ、僕がそんな性格になったのか?


その理由はこの記事に書きました。


『僕が人見知りな性格になった理由』


★ オンラインの会話は、ド派手にいこうぜ!!



こんにちは、森脇カナメです。


結論、zoomなどのオンラインの会話は、地味にしちゃいけない。


普段の2倍から3倍大きく表現する。


悲しいかな、機械を通すと、僕たちの表現は小さくなってしまうんだ。


普段通りでは、伝えたいことが伝わんない。


身振り手振りや抑揚をド派手にして、しっかり伝えよう!!