センカクの町には、表向きの“安全”とは裏腹に、息苦しい空気が漂っている。
それは怪異の噂によるものではない。
金色のピエロや深夜のコインランドリーに現れる影といった不可解な話が飛び交ってはいるが、
住民たちが本当に恐れているのは、もっと現実的で、もっと根深い“何か”だ。
その正体こそが ナック──町中のあらゆるデータを可視化する統合システム である。
防犯を目的に設置された多数のカメラ、移動データ、購買履歴、滞在時間、交通ログ、
それらをひとつの地図に重ね、赤や青の“異常値”として表示する。
導入の際、企業はこう説明した。
「見える化によって、リスクを減らし、センカクの安全を守るためです」
だが実際に起きたのは、真逆の現象だった。
ナックは危険を未然に防ぐどころか、
数字と色分けを通じて“疑い”と“偏見”を増幅し、無関係な住民を犠牲にしていった。
最初のきっかけは、深夜の滞在データだった。
深夜に人影がある場所が赤く表示される仕様は、
不審者を特定するために設計されたものだ。
だがこの“赤”が、人々に想像以上の圧力を与えた。
「深夜のコインランドリーがずっと赤くなってる」
「誰かがいる……」
「もしかしてあの“ピエロ”じゃないのか?」
ナックが赤く塗った場所を、人々は“危険”と結びつけた。
そして“金色のピエロ”の噂が拡散すると、
ナックの地図は怪異と恐怖を裏付ける証拠のように扱われ始めた。
実際には、そこにいたのはただの住民だ。
平日、家事の合間に洗濯する時間が取れない者。
仕事帰りが遅い者。
ただ、それだけの理由だった。
だが、ナックは彼らの生活を“異常値”に変えてしまった。
ナックの真の暴力性は、
「人々がデータを絶対視するようになったこと」 にある。
赤く表示されれば危険。
青ければ安全。
数字は正義で、数値化できないものは信用に値しない。
この“データの正義”は、住民同士の監視意識を極限まで高めていった。
家族の外出時間をログで管理し、
隣人の行動をナックで確認し、
職場では「昨日、あのあたりにいた?」と無邪気に詰問する。
ある老人は、ただ夜中に散歩していただけで家族会議にかけられた。
ある女性は、自宅近くの“滞在スポット”を理由に、SNSで勝手に怪しまれた。
ある中学生は、ナックの“逸脱”データを根拠に教師から生活指導を受けた。
彼らは何も悪いことなどしていない。
ただ、ナックが定めた“正しい行動”から外れていただけだ。
センカクの住民は気付かぬうちに、
ナックという名の“新たな監視者”に従い、
その目を借りて互いを裁くようになっていた。
そしてついに、ひとりの男性が町を離れることになった。
仕事帰りに荷物を運んでいただけの彼が、
ナックの赤い表示と、噂のピエロ像に結びつけられてしまったのだ。
データの誤解、噂の拡散、視線の圧力。
そのどれもが彼を直接傷つけたわけではない。
だが、人々の“疑いのまなざし”は、データ以上に残酷だった。
ナックは「安全装置」ではなくなった。
センカクを支配する新たな権力であり、
住民の心に巣食う恐怖を増幅する“装置”として暴れ始めた。
重要なのは、センカクが特別な町だということではない。
こうした未来は、技術がどれほど洗練されても、
人間の想像力や偏見を制御しない限り、どこにでも起こりうる。
可視化は便利だ。
だが、可視化が進めば進むほど、
“見えないものへの恐怖”は肥大化する。
結果として、人々はデータの隙間に怪異を見出し、
ナックの赤い光に理由なき不安を投影する。
金色のピエロが存在したかどうかは、もはやどうでもいい。
センカクで実際に起きたのは、
可視化が生んだ“生身の犠牲者”であり、
ナックの暴力が静かに町を蝕んだという現実だ。
センカクの住民は、今日もナックの地図を見つめている。
安心のために。
恐怖のために。
そして──互いを監視するために。
ナックはもう、単なるシステムではない。
センカクそのものを飲み込み、
住民の心を支配する“監視者”と化してしまったのだ。
この町が次に失うのは、いったい誰なのだろうか。
その答えを、ナックは沈黙したまま見つめ続けている。
株式会社ナック 西山美術館
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