今日、合同出版さんから新刊紹介のメール(転送歓迎)が届きました。

先日「浅川巧を知る本」の案内でも紹介した『道・白磁の人 浅川巧の生涯――民族の壁を超え時代の壁を超えて生きた人』が新刊本として紹介されていました(あわせて映画の紹介も!)。

この本では、浅川巧の出身地・山梨県北杜市で映画制作委員会の事務局長として頑張ってきた小澤龍一さんが、浅川巧を生んだ甲州の風土と幼少時代を様々な資料を読み解く中で丁寧にたどり、その後の活躍の土台になる思想形成をみごとに描き出しています。

また、ふるさとの地で映画をつくろうとの機運を盛り上げ、一度は映画制作が決まりながらも、制作会社の倒産によって頓挫するとともに、日韓関係の歴史について無神経なマスコミ報道により、共同制作先の韓国側からも大きな反発にに見舞われるなど、様々な苦難を乗り越え、6年余りの歳月をかけて完成に至る波乱万丈の映画制作の道のりをリアルに綴っています。

まさにこの過程自体が一本の映画にもなりそうなくらい、手に汗にぎるドキュメンタリータッチの物語になっています。

ご興味のある方はぜひお読みください。今回の映画を三倍は楽しめると思います(見る前に呼んでも、見てから読んでも)。

映画封切に合わせての発売です(発行日は6月15日)。

『道・白磁の人 浅川巧の生涯――民族の壁を超え時代の壁を超えて生きた人』
●小澤龍一[著]
●四六判、1470円、256ページ

【目次】
まえがきにかえて
第1章 白磁の人 浅川巧
第2章 甲州という風土
第3章 浅川兄弟の幼少年期
第4章 朝鮮に渡った浅川兄弟
第5章 「朝鮮古陶磁の神様」と呼ばれた兄・朝鮮の土になった弟
第6章 わが故郷で映画をつくろう
第7章 監督が決まらない
第8章 シネカノンの倒産
第9章 浅川巧生誕120年紀がやってくる
第10章 追い風が吹き始めた
第11章 玄界灘に架ける虹
あとがきにかえて
■「淺川伯教・巧 略年譜」
■映画『道・白磁の人』
■巻末資料
■参考文献

以下は「合同出版ニュース」から関連するところだけご紹介します。

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 合同出版ニュース  ●初夏の新刊特別号 
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【 2012/5/31 発行 】
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 2012年初夏の新刊ラインナップ(価格すべて税込)
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(中略)

『道・白磁の人 浅川巧の生涯――民族の壁を超え時代の壁を超えて生きた人』
●小澤龍一[著]
●四六判、1470円、256ページ
――100年前、韓半島を緑で覆い尽くそうとした男がいた。「韓国で最も尊敬される日本
人」、民族の壁を超え、時代の壁を超えて生きた浅川巧の姿を追う。また、彼をモチーフ
にした映画『道――白磁の人』(2012年6月全国公開)、制作のあゆみも収録。

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 『道・白磁の人』全国ロードショースタート!  6月9日(土)より全国70館以上
 ★上映館・上映時間はご当地の映画情報をご覧ください
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 1914年、日本が韓国を強制併合してから4年後の朝鮮半島。
 日本人「浅川巧」と朝鮮人「イ・チョンリム」は、林業技師として荒廃した山々を緑に
戻すために、ともに歩き、ともに語り合い、特別な友情を育んで行く。
 しかしある事件がきっかけで、チョンリムは抗日運動の容疑で投獄されてしまう。
 時代が生んだ哀しい運命に抗おうとする浅川巧。果たし二人の行方は…。
 時代の壁を越える友情と人間愛を描く、史実から生まれた感動のヒューマン・ストー
リーがここに誕生!

 *浅川巧とは
 1891年(明治24)山梨県北巨摩郡甲村(北杜市高根町)生まれ。
 1914年(大正3)、23歳の時、朝鮮に渡る。
 「朝鮮総督府農商工部殖産局山林課」に勤務。林業技術者。世界初の画期的な養苗法
「露天埋蔵法」を考案。
 兄伯教とともに柳宗悦に朝鮮白磁の美、生活雑器の「用の美」を伝え、木喰仏への研
究に導いた。「この兄弟のおかげで日本人は李朝の美を知った」と評される。
 今、ソウル市郊外にある巧の墓標に花は絶えることがない。韓国の教科書にその名と
功績が記されている数少ない日本人。
 浅川巧に対する「白磁の人」の形容はその人柄から付けられたものだ。
 1931年、40歳の若さで死去。
 生誕地の北杜市の「浅川伯教・巧兄弟資料館」では、兄弟の韓国文化研究・紹介の業
績を伝えている。