12月10日付神奈川新聞の「ゆとり」欄(文化欄)に、ついに掲載されました!


(見出し
浅川巧の生涯を映画化

困難を乗り越え日韓で制作

「”道”を次世代に」 



記事の内容は、北杜市に事務局をおく小説「白磁の人」映画製作委員会の小澤龍一事務局長が、苦節7年の映画制作にいたる「道」(映画のタイトルもコレ!)を語ったインタビューがベースになっています。


浅川巧については、ご存じない方のほうが多いかと思いますが、記事の中では略歴について、次のように端的に紹介されています。


「1914年に朝鮮に渡り、朝鮮総督府の林業試験場う勤務の傍ら、朝鮮民具の収集・研究に励み、民芸運動の指導者柳宗悦らと「朝鮮民族美術館」の設立に尽力した。肺炎のため41歳で死去し、韓国ソウルに葬られている。かいたん☆かいたん 八ヶ岳縄文人への道



かいたん☆かいたん 八ヶ岳縄文人への道


新聞記事の中でも語られていますが、この映画の制作にいたる過程は、本当に大変でした。映画制作業界やそのバックに控える広告代理店、日韓の政治的な動きやそれをめぐるマスコミの報道などに、翻弄され続けました。


2004年に制作委員会を立ち上げて、各方面にもコツコツと工作しながら、地道に映画化への機運も盛り上げて、一度は制作が決まり、映画制作会社とともに制作発表会まで開いたのに、直後に制作会社が倒産し、突然頓挫するというハプニング。その後も、茨の道は続き、立ち上げから7年目の今年、ようやくロケまでたどり着きました。


現在、編集・音入れもほぼ終わり、試写-キャンペーン-ロードショーに向けて準備も着々と進みつつあります。


私も11月23日のブログ記事「日韓の架け橋となった浅川巧の映画が完成へ! 」で、その苦難の過程について少し触ています。よかったらご覧ください。


また、詳しい映画制作や浅川巧の青少年時代などにまつわる話については、制作委員会事務局長の小澤さんが映画のロードショー後に、本として合同出版から出版することになっています。


さて、この映画ですが、私も3年ほど前から故郷の映画制作実行委員会の協賛者として名を連ね、応援してきたのですが、ようやく来年6月にティ・ジョイ(T-JOY) 系列の映画館での全国ロードショーも決まり、宣伝が始まっています。


先日も以下のような、「年賀状作戦!」を呼びかけるチラシが送られてきました。


かいたん☆かいたん 八ヶ岳縄文人への道


そのチラシとともに織り込まれていたのが、以下の年賀用のハガキです。浅川巧の写真に、迎春の文字と映画タイトルの「道」が描かれ、映画化について知らせています。

かいたん☆かいたん 八ヶ岳縄文人への道

私は今年は喪中なので年賀状は出せないのですが、職場の山梨県出身の同僚に渡して宣伝への協力をお願いするつもりです。


なお、先ほどの写真の新聞記事は、おそらく共同通信あたりの配信だと思いますので、今後は各地の地方紙に掲載されることと思います。


目にするようなことがありましたら、ぜひお読みください。