一昨日の日曜日、近くの富士山探しに出かけました。

いまは横浜市青葉区という、横浜の内陸部の東急田園都市線沿いに住んでいますが、以前は港北ニュータウンというところに住んでいました。

港北ニュータウンには結婚を機に引っ越したんですが、引っ越した当初は、市営地下鉄のセンター南の駅を降りると、一面造成中の原野が広がっていて、歩いて5分くらいしないと、家も無いくらい辺鄙なところでした。
開発の手が入るまでは、「横浜のチベット」と呼ばれていたのも頷ける感じで、地元の農家の人の話では、このあたりは昔、嫁の来てがないくらいの田舎だったということでした。

いまのセンター南駅周辺の賑わいを思うと、隔世の感がありますね。

この港北ニュータウンは現在ほぼ全域が都筑区に入っているのですが、大規模な都市開発がされたとはいえ、まだまだ里山の風景があちこちに残り、広大な農業専用地区では農業も盛んで、若手農家もたくさんいます!

この地域は昔から、富士山信仰の盛んなところだったらしく、街の中に富士山に形を模した小高い山の塚をあちこちに見ることが出来ます。

有名なのが写真の川和富士に、山田富士、そして池辺富士です。おそらく、もっとたくさんあったんでしょうが、宅地開発で造成されて、なくなったものもあるんでしょうね。

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今回訪れた川和富士は、都筑区の端っこの川和町というところに位置していて、緑区や私の住む青葉区ども、境を接するようなところにあります。

小高い丘の上にあって、その丘のランドマークのようにそびえ立っています。

高さは15メートルほどと言われ、東京を中心に関東近辺に多い富士塚のなかではかなり高い方に属し、ちょっとした登山気分を味わえます。

麓からは、真っ直ぐ上に延びる階段と、山を螺旋状に回りながら登る道とがあります。

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頂上は展望台になっていて、360度のパノラマ。西を臨むと、手前に鶴見川、遠く丹沢山系の先に、うっすらと頭をのぞかせた富士山が見えます。

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実は川和富士は、宅地造成によって、元あった場所から、移転して復元したらしいです。でも、元々あった場所もそう遠くないので、おそらく、いまと同じように富士山の姿が西に見え、昔の人たちもその姿に静かに手を合わせたことでしょう。

上から見ると、真っ直ぐ登ってくる階段もかなり急に見えます!

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富士山信仰が流行ったのは江戸時代。浅間神社のお参りに富士山に登ることが修行とされていたそうです。だだし、富士山は女人禁制で女性は登ることが出来ず、子供や病人も体力的に登ることが難しかったことから、町の中に富士山に模した富士塚を作って、富士山登山に代えたそうです。

なかには富士山らしく見せるのに富士山のゴツゴツした岩を所々に配した塚もあるようですが、川和富士は土で固めたなだらかな山になっていて、麓の方はススキの穂がなびいてました。

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これから冬場にかけては、空気が乾燥して、火災になりやすいので、よく山すその採草地などでやっているように、ある一定の面積の草を帯状に刈り取り、防火帯としていました。

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高い富士山の脇には、低い山もあって、そこから眺める富士山の姿もなかなかです。

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また、何とといっても川和富士がある公園の特徴は、広い芝生の広場が広がっていること。しかも、街の郊外にあるので、人も少なく、思いっきりサッカーやフットサルのボールも蹴れる!キャッチボールもノック練習も出来る!鬼ごっこだって、山あり平地ありで、楽しいに違いないはずです。

スポーツ好きな家族にも、昔遊び好きな仲良しグループにも、まさにオススメのスポットですよ。

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